能楽「井筒」


作り物、面、装束、扇
作り物、面、装束、扇


文掲載(現代語訳付き)

左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。

井筒1  ◇ 旅の僧、大和の在原寺を訪れる ◇
ワキ 「これハ諸國一見の僧にて候。我この程ハ南都七堂に參りて候。又これより初瀬に參らばやと存じ候。これなる寺を人に尋ねて候へば。在原寺とかや申し候程に。立ち寄り一見せばやと思ひ候

  旅僧
旅僧 「私は諸国を巡り歩いている僧です。このたびは南都七堂、すなわち奈良の七大寺*1に参詣してまいりました。次は長谷寺*2へ参詣いたそうと思っておりまして、そちらへ向かう途中なのです。
  その道すがら、通りかかったこの寺のことを地元の人に尋ねましたところ、“在原寺*3”だと教わりました。ちょっと寄って見ていこうと思います。
ワキ 「さてハこの在原寺ハ。いにしへ業平紀の有常の息女。夫婦住み給ひし石乃上なるべし。風吹けば沖つ白浪龍田山と詠じけんも。この所にての事なるべし 旅僧 「ああ、そうか。この在原寺というのは昔、在原業平*4と紀有常の娘*5の夫婦が住んでいたという石上なのでしょうね。
  有常の娘が「風吹けば沖つ白波龍田山……*6と詠んだというのも、ここでのことだったのでしょう。
ワキ 「昔語の跡訪へば。その業平乃友とせし。紀の有常の常なき世。妹背をかけて弔はん妹背をかけて弔はん 旅僧 「昔話で有名な所の遺跡を訪れました。かの業平が住んだ家の跡です。業平の友人である紀有常*7、彼の名前は“常に有り”ですが世の中というものは“常無き”もの。万物は流転し、不変のものなどこの世にありません。しかし、そんな世の中にあって夫婦の道を誓い合った二人。その業平と有常の娘の夫婦とを二人一緒に弔いましょう。


*1 法隆寺・東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺の七つのお寺のことです。有名なお寺ばっかりですね。
*2 初瀬=長谷寺です。奈良県桜井市初瀬にあります。西国三十三ヶ所の一つ。ご本尊の十一面観音さんはとても有名です。
*3 在原寺は奈良県天理市櫟本市場にありました。在原寺の本尊も十一面さんでしたんですって。今はもうお寺はなく、小さな在原神社があるそうです。業平さんたちが幼い頃に遊んだ井筒は残されているそうですのでぜひ、愛しいあの方とお出かけになってください。
*4 平安時代きっての色男です。天皇の孫、というよい血筋にくわえて和歌の才、はたまた美貌まで手に入れていたという人です。ふわぁ。彼の伝説については、詳しくは『伊勢物語』をどうぞ。少し詳しくは井筒3をどうぞ。
*5 虚飾取り混ぜて語られる業平の、本当に奥さんだった人です。けれども、だんなさんの伝説化に伴い奥さんもいろいろと物語をふくらませられました。その一つが、この能楽『井筒』です。
*6 全文は
「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君がひとり行くらん」です。この歌については後で井筒5に詳しく出てきます。
*7 業平と奥さんのお父さん、有常さんは友人同士でした。(史実。)したがって、業平と奥さんは幼馴染ではあるはずがないのでこの後の話はおかしなことになってくるのですがここまで業平伝説が盛り上がってしまっては史実など力を持ちませんね。


井筒2  ◇ 謎めいた女性、在原寺へ現れる ◇
シテ 「暁毎の閼伽の水。あかつき毎乃閼伽の水。月も心や澄ますらん 里女 「毎日早朝に閼伽の水*1を汲みに参ります。毎朝暗いうちに仏様へお供えする水を汲みにこの井戸へ通います。井戸の水は澄み、そこに浮かぶ月もまた、澄みきっています。その澄んだ水と月の美しさを見ていると、こちらの心まで澄んでいくようだわ。
シテ 「さなきだに物の淋しき秋の夜乃。人目稀なる古寺乃。庭の松風更け過ぎて。月も傾く軒端の草。忘れて過ぎし古を。忍ぶ顔にて何時までか待つ事なくて存へん。げに何事も。思ひ出の。人にハ殘る。世の中かな 里女 「ただでさえ、秋の夜というのはどこかしら物淋しいもの。人の訪れの稀な古寺では寂しさもひとしお。庭の松を風が吹き過ぎます。そして夜も更け過ぎたので月は西へ傾いていきます。傾いた軒先で月光に照らされ淋しく揺れてるわ、名もなき草が。
  草といえば、忘れ草ではないけれど忘れ去ったはずの遠い昔が偲ばれてなりません。しのぶ、といえば忍ぶ草。遥か昔を思い偲んで待っているの、いつまでも……いつまで草ね。待つものがなければこうしていつまでも永らえたりはしない。待つものがあるから、こうして存在し続けられるの。待っても甲斐はないと解っているのに……本当に、どんなことも、人の思い出の中だけに残るのね、この無常な世の中では。思い出は心に巣くわざるを得ないんだわ……
シテ 「たゞ何時となく一筋に頼む佛の御手の糸導き給へ法乃聲 里女 「いつ、ということなしにずっと、こうして仏様のご加護を祈っております。その御手にお持ちの糸*2の端を私に持たせてください、そしてどうぞ浄土へとお導きくださいませ。
シテ 「迷ひをも。照らさせ給ふ御誓ひ。照らさせ給ふ御誓ひ。げにもと見えて有明の。行方ハ西乃山なれど眺めハ四方乃秋の空。松の聲のみ聞ゆれども。嵐は何處とも。定めなき世の夢心。何乃音にか覚めてまし。何乃音にか覚めてまし 里女 「迷いを照らしてあげよう、と仏様は御請願を立てて下さった。そうね、だから有明の月は仏様のおわします西方へと向かうけれどその光は四方に放たれてこの秋の空を照らしてくれているのね。
  あたりは寂しくて聞こえるのは風に吹かれる松の声だけ……けれど、その音を立てている風はどこでどう吹いてまわっているのか私にはわからないわ。そんなふうよね、人の世も。何がどう作用してどうなるのか、なんて人にはわかりはしないもの。それなら、夢を見ているのとどんな違いがあって? ああ、その夢からは覚めることはできるのかしら? どんな物音ならこの夢から覚まさせてくれる*3の?


*1 仏様に手向ける水のこと。閼伽(あか)は梵語の水(Argha)という言葉から来ています。
*2 阿弥陀如来さまは五色の糸をお持ちで、その糸で衆生を浄土へと導いてくださるのです。南無阿弥陀仏〜。
*3 どんな音が悟りに導いてくれるのだろうか、と聞いているのですね、里女は。その答えの一つはお話の最後にわかります。


井筒3  ◇ 僧、女性に声を掛ける ◇
ワキ 「我この寺に休らひ。心を澄ます折節。いとなまめける女性。庭の板井を掬び上げ花水とし。これなる塚に廻向の氣色見え給ふハ。如何なる人にてましますぞ 旅僧 「この寺で旅の疲れを癒し、心を澄ませて*1休んでおりました。すると境内へ、たいそう優美な女性が入ってきました。寺の庭にある板囲いの井戸から水を汲み上げて塚の前の花挿しに注ぎ入れ、持参した花を供えてお参りをしているようです。
  もし、お嬢さん。あなたはどなたなのですか。
シテ 「これハこの邊に住む者なり。この寺乃本願在原の業平ハ。世に名を留めし人なり。さればその跡乃しるしもこれなる塚の陰やらん。わらはも委しくハ知らず候へども。花水を手向け御跡を弔ひまゐらせ候 里女 「私ですか。私はこの近くに住んでいる者でございます。このお寺をお建てになった在原業平さまはとても有名なお方です。ですから、その墓所はこの塚の陰ではないかしら、と思いまして……。私も詳しいことは存じ上げないのですけれども、こうして花と水とをお供えいたしまして、業平さまを弔っているのでございます。
ワキ 「げにげに業平の御事ハ。世に名を留めし人なりさりながら。今ハ遥かに遠き世の。昔語乃跡なるを。しかも女性の御身として。かやうに弔ひ給ふ事。その在原乃業平に。いかさま故ある御身やらん 旅僧 「そうですね、業平の事跡*2はなかなかに有名です。けれど、その業平の時代*3は今となってはとうの昔のことではありませんか。もうすっかり昔話となってしまっている、その跡というだけのことでしょう? しかも、あなたのように女性の身でありながらこのように弔いをなされるというのは、業平と縁のある方とお見受けしましたが。


*1 お坊さまが「心を澄ます」といえば、それは仏様を念じ、お経を一心に読まれる、ということなのだそうです。
*2 業平さんは歌人として有名です。何より六歌仙・三十六歌仙の両方に選ばれているのがその証拠。
「ちはやぶる神世もきかずたつた川から紅に水くゝるとは」という歌はご存じですか? 百人一首に採られていますよ。父方・母方両方ともおじいちゃんが天皇といういい家柄に生まれたのですがそんな子は結構たくさんいた時代なので「在原」の名字を貰い臣籍に下りました。けれど、ここでお坊様が言っているのは『伊勢物語』の一連の恋愛譚の主人公としての事跡でしょうね。『伊勢物語』の主人公はこの業平さんだ、ということになっています。なかなか情熱的な歌を詠むところから色好み伝説が生まれたものでしょうか。いやいや、実際に当時からけっこう噂のあった人で物語には信憑性があったとも言われています。平安時代の美人といえば小野小町! それと同じく、平安時代の男前といえば業平! そんなカッコイイ人なのです。小町ちゃん同様、たくさんの物語などが後世つくられました。お能ではこの『井筒』のほかに『杜若』『雲林院』『小塩』があります。狂言の『業平餅』はとっても楽しいです。
*3 業平さんの在世は八二五−八八〇年。この謡曲『井筒』を書いたのは何を隠そう世阿弥さんなのですがこの作品は世阿さんが六十代のとき、すなわち一四二〇年頃に書かれたと見られています。世阿さんが自分の時代を想定して書いたとしたら確かに随分昔ですよね。しかし、それからさらに時を経た二〇〇三年の今でも色男として名を馳せている業平さんはたいしたものですな。


井筒4  ◇ 在原寺の主・業平について語り合う ◇
シテ 「故ある身かと問はせ給ふ。その業平ハその時だにも。昔男と云はれし身乃。ましてや今ハ遠き世に。故も所縁もあるべからず 里女 「縁故の者かとおっしゃるのですか。業平さまはその生きていなさった頃でさえも“昔男*1”と呼ばれていたお方ですわ。ましてや今のように遠く隔たってしまった時代ですもの、理由だの所縁だのなんて、あるはずがございませんわ。
ワキ 「もつとも仰せハさる事なれども。此處は昔の舊跡にて 旅僧 「言っておられることは確かにそうなのですが。ここは昔の旧跡で
シテ 「主こそとほく業平乃 里女 「寺の主・業平さまは遠い昔のお方となりました。
ワキ 「跡ハ殘りてさすがにいまだ 旅僧 「その業平の住まいの跡はかろうじて残っているありさま。しかし、さすがに今の時代になっても
シテ 「聞えハ朽ちぬ世語を 里女 「業平さまの名声は消えることなく語り継がれているのです。
ワキ 「語れば今も 旅僧 「業平の話を語るとなれば今もやはり
シテ 「昔男の 里女 「昔男、という
「名ばかりハ。在原寺の跡古りて。在原寺の跡古りて。松も老いたる塚の草。これこそそれよ亡き跡の。一叢ずゝきの穂に出づるハいつの名殘なるらん。草茫々として露深々と古塚乃。まことなるかないにしへの。跡なつかしき氣色かな跡なつかしき氣色かな 地謡 「名前だけは今も残っていますよね。在原寺の跡はこんなに古くなり荒れてしまいましたけれど。当時からあったであろう松の木もすでに老い、生い茂る草が塚を覆っています。これこそ業平さまの墓じるしでしょう。亡き跡である塚には一叢のすすき*2が生え、穂を出して*3います。これはいつ頃からここに生えているのかしらね。草の茫々たるありさま、そこへしっとりと落ちている露。ああ、この様を見ていると本当に昔のことが懐かしく思われてなりません。


*1 『伊勢物語』はいろんな恋愛話の小さな段が一四三個も集って作品世界を織り成しているのですが、そのうち、「むかし、をとこ、……」で始まるものが五七段、「むかし、をとこありけり。」で始まるものが二三段、あわせてなんと八〇段もあります。数えました。そして、この『伊勢物語』で語られているのは業平の逸話だ、と思われていましたから「むかしおとこ」といえば業平のことを指すことになったのです。
*2 「一叢ずすき」とは、庭が荒れていることの象徴でもありますが、作り物の井筒にすすきがつけられていることからも重要なモチーフであることが推察されます。季節感を出すアイテム、というだけではないのではないかしら。
*3 穂を出しているすすき、というのは何かがほのめかされていることの暗喩だそうです。ここでは誰が、何を伝えようとしているのでしょうか。三十字以内で答えなさい。(一〇点)


井筒5  ◇ 「風吹けば……」の歌にまつわる物語 ◇
ワキ 「尚々業平の御事委しく御物語り候へ 旅僧 「もっと業平の話を詳しく聞かせてください。
「昔在原乃中将。年經て此處に石の上。古りにし里も花の春。月乃秋とて。住み給ひしに 地謡 「その昔、在原中将*1は成人なさってからこの石上にお住まいになりました。“古りにし里*2”と呼ばれた布留の里で春には花を愛で、秋には月を友として暮らしておられました。
シテ 「その頃ハ紀の有常が娘と契り。妹背乃心淺からざりしに 里女 「その、ここにお住まいだった頃のことです。業平さまは紀有常の娘と結婚なさいました。夫婦仲はたいそうよろしかったのですけれども。
「また河内の國高安乃里に。知る人ありて二道に。忍びて通ひ給ひしに 地謡 「業平さまには河内国の高安の里*3にも愛人がおりました。両方を同時に愛し二股をかけており、たびたび高安の里へひそかに通っていたのです。
シテ 「風ふけば沖つ白波龍田山 里女 風吹けば沖つ白波龍田山
――風が吹いたら沖には白波がたつわ、龍田山にも風が吹きすさぶわね……
「夜半にや君がひとり行くらんとおぼつかなみ乃夜の道。行方を思ふ心とげて外の契りハかれがれなり 地謡 夜半にや君がひとり行くらん*4
――そんな危険なところをあなたは一人、夜中に越えてお行きになるのね、どうか道中ご無事で……

と、足元のおぼつかない夜の暗い道を行く業平のことを思いやった歌で心が通じて、業平と愛人の関係はそれ以来絶え絶えになっていったのでした。
シテ 「げに情知る。うたかた乃 里女 「本当に人の情けを歌はよく知っています。歌だから伝わる真心というものもあります。
「あはれを抒べしも。理なり 地謡 「消えゆく泡の哀れさを表すことのできる歌でこそ想いが伝わったのです。それはもっともなことです。


*1 業平さんは左近衛中将でしたので、そう呼ばれていました。
*2 
「日の光藪しわかねば石の上古りにし里に花も咲きけり」という古今和歌集に載っている歌を踏まえています。
*3 大阪府八尾市の高安山の西に広がる一帯を高安の里と呼んだそうです。ちょうど櫟本から真西に行ったあたりです。
*4 井筒1で出てきましたね。業平が愛人の元へ通っていることを知りながらいそいそと送り出す奥さんに「こいつも浮気してるんじゃあ…」と疑念を抱き、高安へ行ったふりをして奥さんを見張っていたらこんな歌を詠んでくれていたのでホロリ、というお話がこの歌の背景にあります。『伊勢物語』より。 


井筒6  ◇ 「筒井筒……」の歌にまつわる物語 ◇
「昔この國に。住む人の有りけるが。宿を竝べて門の前。井筒に寄りてうなゐ子乃。友達かたらひて互に影を水鏡。面をならべ袖をかけ。心の水も底ひなく。うつる月日も重なりて。おとなしく恥ぢがはしく。互に今ハなりにけり。その後かのまめ男。言葉の露乃玉章の。心の花も色添ひて

筒井筒…
地謡 「昔、この大和国に住んでいた者がありました。隣同士に住み合わせていた両家の門前には井筒がありました。両家のおさな子は、よく二人一緒に井戸に袖をかけて中を覗き込んではお互いの姿を映し、遊んでおりました。井戸の水が果てしなく深いようにそのお互いを思う心にはどこにも隔たりなどはありませんでした。汲んでも尽きぬ思いを抱いていたのでしょう。そのように水面に影の映る年月も移り変わり、二人は成長するにつれ、お互いに意識しあって恥らう年頃となりました。
  それから、その“まめ男*1”、忠実なる男は溢れる言葉の露を文に綴り、想いを歌に詠み添えて彼女に贈りました。
シテ 「筒井筒。井筒にかけしまろがたけ 里女 筒井筒井筒にかけしまろがたけ
――筒、あの家の前の井筒でほら、よく背丈を測って遊んでいたね? 僕は。
「生ひにけらしな。妹見ざる間にと詠みて贈りける程に。その時女も比べ來し振分髪も肩過ぎぬ。君ならずして。誰かあぐべきと互に詠みし故なれや。筒井筒の女とも。聞えしハ有常が。娘の古き名なるべし 地謡 生ひにけらしな妹見ざる間に*2
――あの時よりも、もう随分背が伸びたんだよ、君が見ないでいる間に。

このように詠んで贈りましたところ、彼女の方でも歌を詠みかえしてきました。

 比べ来し振分髪も肩過ぎぬ
    君ならずして誰かあぐべき
 
――長さ比べをしていた私たちの振り分け髪。私のほうはもう肩を過ぎる長さになりました。お嫁に行く時は結い上げるものですけど、でも、あなたじゃなかったら、誰のためにも上げたくはないんです。

 このような歌をかわしあったので彼女は“筒井筒の女”と呼ばれもしました。それは有常の娘の古い呼び名なのです。


*1 まめ男、とは誠実な男の人のこと。『伊勢物語』では業平はこう呼ばれています。現代の感覚で見ると気がきいて行動の早い人のように感じますがそうでなければ誠実さは表せませんかね。でも、本当に業平が"まめ"かどうかは私には疑問だわ。
*2 『伊勢物語』では「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」となっています。業平は本当はこう詠んだのだと思います。背丈が過ぎたよ、といったからそれを受けて彼女は髪も肩を過ぎたよ、と答えたのでしょうから。それでこそラブラブ贈答歌! けれど、ここで「生ひにけらしな」とされているのはなぜ? そのわけは後ほど、井筒12で明らかに!


井筒7  ◇ 謎の女性、正体をほのめかして消える ◇
「げにや古りにし物語。聞けば妙なる有様の。あやしや名のりおはしませ 地謡 「本当に古い物語をよく御存知でおいでだ。そして、その故ありげな美しい姿。この世のものではないようにも思われます。あなたは一体どなたなのですか。
シテ 「眞ハ我ハ戀衣。紀乃有常が娘とも。いさ白波の龍田山夜半に紛れて來りたり 里女 「本当のことを申しますとね、私は恋の衣*1を身にまとう紀有常の娘…だとお思いになられまして? さあ、それはどうだか知りませんけれどね、彼女が“いさ白波の龍田山…”と詠んだような夜になりましたので闇に紛れてここまで出てまいりましたの。
「不思議やさては龍田山。色にぞ出づる?葉乃 地謡 「なんと不思議なことだろうか。さては、そうか。龍田山の色付く紅葉の木……それとなく正体を知らせているのですね、龍田山で色付いてその存在を知らしめるあの紅葉の木*2のように。
シテ 「紀の有常が娘とも 里女 「木…そう、紀有常の娘というのも
「またハ井筒の女とも 地謡 「また、井筒の女と呼ばれているのも
シテ 「恥かしながら我なりと 里女 「恥ずかしいことですけど、この私なのですわ。
「言ふや注連縄の長き世を。契りし年ハ筒井筒井筒の陰に隱れけり井筒の陰に隱れけり 地謡 「と謎の女はいいます。

  長く結われた注連縄のように長い世を約束しあったのは十九*3のときでした……あの人が私に詠んでくれた歌、“筒井筒、井筒にかけし……”

  そう口ずさみながら井筒の陰に隠れて消えてしまいました。


*1 衣を着る、と紀有常の紀が掛けられているのです。ほかにも、謡曲中にはふんだんに掛詞が出てきていますけれどここは訳があまりにも唐突過ぎるかなあ、と思いましたのでお知らせをば。
*2 ここでも木と紀が掛けられています。紅葉の黄色と掛けている、という説もあります。訳、大変なの分かっていただけます? おおむね訳文だけ読んで唐突な感のあるところは掛詞に泣かされてると思ってください。と、文の拙さを責任転嫁。
*3 「つづ」が、一九を表す言葉だという説をとってここでは訳してみました。(本来は一〇を表す言葉なのだそうですが、近世にはそのような誤用がまかり通っていたらしいです。)当時の婚姻年齢としては年をとりすぎのような気もしますが。もう一つの説は「つついつつ」で、「僕たちこの井筒より大きくなったら結婚しようねー」とおさな子たちが言い交わしたのが五つのときだった、というもの。しかし、背丈が囲いを越えてなかったら水に姿を映して遊ぶってことは出来ないのでは? それに、数えの五つといえば今でいうと四歳。写真で見た在原神社の井戸の囲いはそんなに高くは見えませんでしたので……ああむずかしい。


井筒8  ◆ 間狂言 ◆
アイ 「かやうに候者は。和州櫟本に住居する者にて候。某宿願の子細あつて。在原寺へ參詣仕り候。今日も參らばやと存ずる。


いやこれに見馴れ申さぬ御僧の御座候が。いづくよりいづ方へ御通りなされ候へば。これには休らうて御座候ぞ
里人 「さて、私は大和国櫟本に住むものでございます。私はかねてより願を掛けていることがございまして、在原寺へ参詣を続けております。今日もこれから参るところです。

  おや、あそこに見慣れないお坊様がおられます。
  ここに居られるのはどこかへ行く途中ででもあるのですか。どちらからどちらへ行かれるところなのでしょうか。
ワキ 「これは一所不住の僧にて候。御身はこの邊の人にて候か 旅僧 「私は諸国を巡り歩いている僧です。あなたはこのあたりにお住まいの方ですか。
アイ 「なかなかこの邊の者にて候 里人 「そうです。近所のものですが。
ワキ 「さやうにて候はばまづ近う御入り候へ。尋ねたき事の候 旅僧 「それならば、まずもっとこちらへ来ていただけませんか。伺いたいことがあるのです。
アイ 「畏つて候。

さて御尋ねなされたきとは。いかやうなる御用にて候ぞ
里人 「わかりました。

  お訊ねなさりたいこととは、一体どのような御用件でしょうか。
ワキ 「思ひも寄らぬ申し事にて候へども。古業平紀の有常の娘夫婦の御事につき。樣々の子細あるべし。御存じに於ては語つて御聞かせ候へ 旅僧 「唐突で申し訳ないのですが、昔の業平と紀有常の娘夫婦のことに付いてはいろいろな逸話があるのでしょうね。それをご存知でしたらぜひとも聞かせていただきたいのですが。
アイ 「これは思ひも寄らぬ事を仰せ候ものかな。我等もこの邊に住居仕り候へども。さやうの事委しくは存ぜず候さりながら。始めて御目にかゝり御尋ねなされ候ものを。何とも存ぜぬと申すもいかがにて候へば。凡そ承り及びたる通り御物語申さうずるにて候 里人 「そういうことをお尋ねになるとは思っても見ませんでした。私どももこの在原寺の近所に住んではおりますがそういったことは詳しくは知らないのです。しかし、初めてお目にかかってお尋ねくださったものを何も知らない、といってしまうのはあんまりですので、大まかに、ではありますけれど私が聞いて知っている通りにお話させていただきましょう。
ワキ 「近頃にて候 旅僧 「それはありがたい。
※ 間狂言の詞章は『謡曲大観』(佐成謙太郎著 明治書院)に拠っています。


井筒9  ◆ 間狂言 ◆
アイ 「さる程に在原の業平と申したる御方は。阿保親王の末の御子にて御座ありたると申す。
  即ちこの所に住まはせ給ふが。その頃紀の有常と申す御方の御息女の御座ありしが。業平常に伴ひ給ひ。これなる井筒に立ち寄り。影をうつして御遊ありしが。おとなしくなり給ひては。互に恥ぢがはしく思して。出會ひ給ふこともなく候に。ある時業平の方より。歌を詠みて息女の方へ贈らる。その御歌は。

筒井筒井筒にかけしまろがたけ。
生ひにけらしな妹見ざるまに

  かやうに遊ばしければ。息女の御返歌に。

くらべこし振分髪も肩過ぎぬ。
君ならずして誰かあぐべき

と。かやうに御返歌あつて。程なく夫婦の語らひなし給ひ。御契り淺からずありたると申す。

  又その頃業平は高安の里にとある女と契り給ひて。高安へ通い給ふに。息女は嫉み給ふ心もなく。高安へ通ひ給ふ折節は。機嫌よくして出で立たせ給ふ間。業平不審に思し召し。もし二心やあると思し召し。河内へ通ひ給ふ風情にて。庭なる一村の薄の陰に立ち寄り。内の體を御覽あるに。息女はいつもよりも美しく出で立ち。香を焚き花を供へ。縁に出でて高安の方を御覽じ。一首の歌に。

風吹けば沖つ白波龍田山。
夜半に君がひとり行くらん

と詠み給ひ。いかにもあぢきなき體にて 奥へ御入り候を。業平御覽じて。さては二心なきものをと。河内通ひを留まり給ひたると申すが。またその後息女も業平も。空しくなり給ふにより。その跡に寺を建て。在原寺と名づけ申し候。
 
里人 「さて。在原業平というお方は阿保親王の末のお子さんであらせられるということです。
  業平は幼い頃、この地にお住まいでした。その頃ここには紀有常というお方のお嬢さんも住んでおられました。業平はいつもそのお嬢さんと連れ立ち、この井筒のあたりへ来ては水にお互いの姿を映して遊んでおりました。大きくなられましてからはお互いに恥かしく思うようになったものか、次第に逢って遊ぶこともなくなっていったのですがある時、業平の方から歌を詠んでお嬢さんへ贈りました。それはこのような歌でした。

筒井筒井筒にかけしまろがたけ
   生ひにけらしな妹見ざるまに

 
  このように詠まれましたのでお嬢さんも

くらべこし振分髪も肩過ぎぬ
     君ならずして誰かあぐべき


と、このようにご返歌をなさいました。そしてそれから程なくご結婚なさり、たいそう仲睦まじくお暮らしだったそうです。

  またその頃、業平は高安の里に住む女とも付き合っておりまして、高安へ通っておりました。しかし、お嬢さんは嫉妬する風でもなく、業平が高安へ出かけるときは機嫌よく送り出しておりましたので業平は怪しく思い始めました。お嬢さんも浮気をしているのではないか、というわけです。それである日、いつものように河内へ行く振りをして家を出たあと、庭にある一叢のすすきの陰に立ち帰り、家の様子を伺い見ておりました。するとお嬢さんが、いつもよりも美しい格好をしている様子が見えました。お嬢さんは香を焚き、花を生けると、縁側に出てきて高安の方を見やり、一首の歌を詠まれました。

風吹けば沖つ白波龍田山
     夜半に君がひとり行くらん


こう詠むと、でも私にはどうして差し上げることも出来ない、といった顔で部屋の奥へ入られました。これを業平は見て「ああ、浮気していたのではなかった、自分のことを思ってくれていたのだ」と悟り、それ以来河内通いをやめたということです。また、お嬢さんも業平も亡くなられましたあとにはこうして寺が建てられ、在原寺と名づけられました。


井筒10  ◆ 間狂言 ◆
アイ まづ我等の承り及びたるはかくの如くにて御座候が。何と思し召し御尋ねなされ候ぞ。近頃不審に存じ候 里人 「私の知っているのはこのような話なのですが、一体どうしてお聞きになりたいと思われたのですか? 不思議です。
ワキ 「懇に御物語り候ものかな。尋ね申すも余の儀にあらず。御身以前にいづくともなく女性一人來られ。これなる板井を掬び花を清め香を焚き。あれなる塚に囘向なし申され候程に。いかなる事ぞと尋ね候へば。業平紀の有常が息女の御事。唯今御物語りの如く懇に語り。何とやらん身の上のやうに申され。井筒の邊にて姿を見失うて候よ 旅僧 「詳しくお話してくださりありがとうございます。私が二人の逸話を訊いたのは他でもありません。あなたが来る前に、どこからともなく一人の女性が来られましてね。この井戸の水を汲んで花に注ぎ、香を焚いてあの塚に回向なさっていたので、業平とはどういったご縁かと聞きましたのです。すると、業平と紀有常のお嬢さんのことを今、あなたが話してくださったように詳しく語られました。そして、どうやらそれが自分のことであるかのようにほのめかし、井筒のあたりで姿を消してしまったのです。
アイ 「さては御息女の御亡心現れ給ひたると存じ候間。ありがたき御經を讀誦し。かの御跡を懇に弔ひ申さうずるにて候 里人 「それはお嬢さんの霊が現れなさったのだと思いますよ。お嬢さんのためにありがたいお経を読んで差し上げてください。井筒の跡を懇ろに弔って差し上げるのがよろしいかと思います。
アイ 「御逗留にて候はば。重ねて御用仰せ候へ 里人 「こちらにご逗留なさるのでしたら、御用がありましたらまたお申し付けください。
ワキ 「頼み候べし 旅僧 「お願いします。
アイ 「心得申して候 里人 「わかりました。


井筒11  ◇ 有常の娘の霊、業平の衣装を身につけて現れる ◇
ワキ 「更け行くや。在原寺乃夜の月。在原寺の夜乃月。昔を返す衣手に。夢待ち添へて假枕。苔の筵に。臥しにけり苔の筵に臥しにけり 旅僧 「夜が更けていきます。夜の在原寺を秋の月が照らし出しています。昔より、衣を裏に返して着て寝ると想う人の夢が見られる*1といいます。私も先ほどの女性に夢なりと一度逢いたく思いますので衣を裏返して、ここで少し休むとしましょう。柔らかな苔も生えています。これを寝床として休みましょう。
後シテ 「徒なりと名にこそ立てれ櫻花。年に稀なる人も待ちけり。かやうに詠みしも我なれば。人待つ女とも云はれしなり。我筒井筒の昔より。眞弓槻弓年を經て。今ハ亡き世に業平乃。形見の直衣。身にふれて

  有常ノ娘
実際に女性が冠直衣姿をするとこのような感じになります
有常
の娘
徒なりと名にこそ立てれ桜花
      年に稀なる人も待ちけり

――咲いたかと思ったらさっと散ってしまうから気まぐれだ、移り気だといわれる桜の花。けれど、滅多に訪れて下さらないあなたのことはちゃんとお待ちしてこうして咲いていたのです。私も、お待ちしていたのですよ……

  と、こんな歌を詠んだのも私。だから“人待つ女”とも呼ばれたりなんかしてるのですね。筒井筒の歌をかわしあった頃からいろいろあったけれどずいぶん年月を……“真弓槻弓年を経て*2”経てしまったものね……もう、とうの昔に亡くなってしまった業平さまだけれど、ここにあなたの形見の冠と直衣があるわ。身に付けてみましょうか……
後シテ 「恥かしや。昔男に移り舞 有常
の娘
「ちょっと恥かしいけれど、この姿で在りし日の業平さまのように舞ってみようかしら……
「雪を廻らす。花の袖   地謡 「直衣の袖をひるがえして舞う様はあたりに雪片が舞い散ってきらめき、花びらが降りしきるかのように美しい……


*1 「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる」小野小町さんの歌です。あなたが恋しい、逢いたくてたまらないけど逢えない、そんなせつない夜はせめて衣を裏返して着て寝よう、そうすれば夢で逢えるかもしれないから……そうなの? 小町ちゃん。試してみようかな。でもどうも現代において服が裏返しというのはマヌケ感が漂っていけない。古今集に載ってます。
*2 「
梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ」『伊勢物語』の逸話の一つで、ある男が彼女を三年間ほったらかしていました。彼女はずっと待っていたのですが、その間ずっと言いよってくれていた男の人に「では今夜…」と承諾したその日、こともあろうに帰ってきやがったのです、その男は。そして、門内に入れてもらえず訳を話されたときに詠んだ歌がこれ。「その人を、私を愛してくれたようにずっと愛してあげてください」彼女は「やっぱりあなたが好き!」とたまらなくなって男の跡を必死に追いかけるのですが追いつけず、とうとう清水のほとりで力尽きて息絶えてしまいました。この二人を、中世の人々は業平と有常の娘だと解釈していたのですって。どこまでも待つ女、なのね。 


井筒12  ◇ 昔を懐かしみ舞う有常の娘 ◇
後シテ 「此處に來て。昔ぞ返す。ありはらの 有常
の娘
「この在原寺、あの人と私が一緒に暮らした場所へ帰ってきて、昔の、あの頃をもう一度よみがえらせましょう。
寺井に澄める。月ぞさやけき月ぞさやけき 地謡 「在原寺の井戸には月が映り、さやかに照り輝いています。
後シテ 「月やあらぬ。春や昔と詠めしも。何時の頃ぞや 有常
の娘
「きれいな月ね……

月やあらぬ春や昔の春ならぬ
   我が身一つはもとの身にして
*1
――これが、あの月なのだろうか。春とて、昔の春ではなくなってしまった……ああ、私だけはあの頃と変わらぬままだというのに。私はあの人を想い続けているというのに。もう、昔には帰れないのか……

月といえば月を眺めてこんな歌を業平さまが歌に詠んだこともあったわね、あれはいつの頃のことだったかしら……
  でも、今の月は昔の月よ、業平さまと見た月よ、そうよね、あの頃をもう一度……
後シテ 「筒井筒 有常
の娘
「あの人が、私に、詠んでくれた歌……
――筒井筒……
「つゝゐづゝ。井筒にかけし 地謡 「つついづつ 井筒にかけし
後シテ 「まろがたけ 有常
の娘
「まろがたけ……
生ひ(オイ)しにけらしな 地謡 「生ひにけらしな……
後シテ 「老いにけるぞや 有常
の娘
「生いもしたけど、老い*2もしたわね……


*1 『伊勢物語』で業平と目される人物が、昨年までは親しくしていた彼女と事情があって逢えなく、また連絡もとれなくなってしまいました。それから一年経って、昨年のことが忘れられず彼女の住まいを訪れてみれば誰も住まわぬあばら家になっていました。そこで、泣きながら帰らぬ昔を嘆いた歌です。残念ながら歌に込めた想いの対象は有常の娘ではないのですが。
*2 先ほど井筒6で書きましたが、「過ぎにけらしな」を「生ひにけらしな」に変えたのは、ここに出てきますように「生い」と「老い」とを掛けたかったからではないでしょうか。有常の娘さんが幸せラブラブ状態にあったのはごくごくわずかな期間なのではないかと思われてなりません。一緒になれることを期待して生いるのは楽しかったでしょう、けれど彼女にとっての老いは……。詳しくは別頁(ウフフ)に譲りますけれど。


井筒13  ◇ 夜明けとともに消えていく有常の娘 ◇
「さながら見みえし。昔男の。冠直衣ハ。女とも見えず。男なりけり。業平の面影 地謡 「まるで、その昔に契りを交わした昔男こと業平、在りし日のそのままの姿。男物の冠直衣を身に着けた姿は全く女の姿とは思えない、男姿そのもの。業平の面影を映しています。
後シテ 「見ればなつかしや
見ればなつかしや
有常
の娘
「井戸に映るこの姿は……
 ああ、お懐かしい業平さま……
「我ながら懷かしや。


亡婦魄靈の姿ハ凋める花の。色なうて匂ひ。殘りて在原の寺乃鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も。破れて覚めにけり夢ハ破れ明けにけり
地謡 「私自身の男装姿ながら、本当に懐かしい思いがいたします……

  業平の面影との邂逅を懐かしんだ亡き女の幽霊の姿は次第に消えていきます。業平への想いをだけをあたりに残して。そう、あたかも花がしぼみ色あせた後にも香りをあたりに漂わせる*1かのように。在原寺に夜明けを告げる鐘の音が鳴り響き、東の空は明るく白んでゆきます。明るくなってくると古寺は松を吹き過ぎる風と破れた芭蕉の葉が揺れるのみで寂しい限り。夢は鐘の音に破られ、目が覚めて*2しまいました。夜が明けて夢は終わりをつげたのです。

おわり


*1 「しぼんで香りだけを残す花」、というのは、業平の歌を評して言われた言葉です。古今和歌集に業平の歌は三十首採られています。そして、仮名序で以下のように歌ぶりを評されています。「在原業平は、その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくてにほひのこれるがごとし。」つまり、いいたいことは分かるけど言葉で表現しきれてないよ、ってことでしょうか。思いの大きさに言葉がついていかない……というと角が立ちませんかね? 真名序の方は漢文で書かれているためばっさり切られている感がありなかなか面白いです。そちらも紹介しちゃいましょう。「在原中将之歌、其情有余、其詞不足。如萎花雖少彩色、而有薫香。」しかし、これでもけっこう評価高い方なんではないでしょうか、ほかの人々に比べると。ちなみにこの古今集の序で一緒に歌を評された人々が後に六歌仙と呼ばれるようになりました。
*2 お話の最初(井筒2)に登場したときに有常の娘は言っています。
「定めなき世の夢心。何乃音にか覚めてまし」私の夢を覚ましてくれるのは何の音かしら? すなわち、私を悟りに導いてくれる手立てはないものかしら、といっているのですが。なぜ「音」というのかな、と思っていたのです。これの答えはここで出てくる「鐘の音」だったと考えられるのではないでしょうか。いえ、鐘の音が聞こえたらすなわち成仏、ということがいいたいのではありませんよ。旅のお坊さんに弔ってもらい、しかも思いのたけを打ち明けて業平との思い出をもう一度よみがえらせることが出来た、それが執着心から解脱するきっかけだったのではないでしょうか。そして、それを優しく見守ってくれていたお坊さまが目覚める時、それが彼女にとっても長い長い夢を終えられるときだったのではないかと。本当に、好きだったんだね。

おわり。