■第二回 あやめ会■
平成十年六月十三日(土) 午後一時半始
連吟 鶴亀 仕舞 嵐山 敦盛クセ 羽衣キリ 大江山 鞍馬天狗 素謡 竹生島 仕舞 高砂 菊慈童 仕舞 鶴亀 田村キリ 杜若キリ 小袖曽我 融 附祝言 終了予定 午後三時頃
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連吟・鶴亀 連吟とは、二人以上で、能の謡曲の一部分を謡うことです。(ちなみに一人で謡うのは独吟といいます。) では連吟『鶴亀』とはどんなものか。 場所は中国。遠い昔。かの玄宗皇帝は月宮殿に行幸されました。一年の 連吟で謡っているのは月宮殿の様子です。庭の砂は金銀であって宝石が連なり、扉は瑠璃。柱の上の横木がシャコ貝で階段は 何はともあれ、こんなに見事な宮殿を目にすることができるのは皇帝のお力だ。めでたいめでたい。ああ皇帝陛下万歳!―――といったところでしょうか。 というわけで、華やかな場面です。あやめ会がこの連吟で華やかになるといいね。
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仕舞・嵐山 あやめの咲く季節です。(だからあやめ会。)桜はちょっと季節はずれかも知れないけど、ま、仕方ないな。このお話は桜なしには語れないから。 京都の嵐山はいわずと知れた桜の名所、鎌倉時代の末期頃からだそうで、現在でも春には観光客だらけ。嵐山の桜は奈良の吉野から移植されたとのこと。都の近くで見られるようになった「吉野の桜」!(これじゃまるで さて、その神様がたが主役。一番偉い蔵王権現、その子分の木守の神、勝手の神(実はご夫婦、でも内緒よ)。みなさま、花の嵐山で神遊びなさる。そのありさまを描く。 まず、木守・勝手ののびやかな神遊び、そして蔵王権現が烈しい勢いで登場! 仏様がその本体の威光を和らげ、神の姿に世俗に交わって 金剛界と胎蔵界の両部を具有( そして、虚空に御手を挙げて、苦しみに満ちた海の如き人間世界の煩悩を払いのけ、悪魔 実は、木守・勝手の神と蔵王権現とは、一人の仏様が分身!した姿であり、もともとは同体で名が異なるだけなのだ。( 桜の花に戯れ、梢に翔って、神の身から発する金色の光で、金峰山(吉野山の主峰)の名のごとく、嵐山も千本の桜も光り輝いている、久しくめでたい春!
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仕舞・敦盛クセ 僕は死んだ。十六歳で死んだ。首を斬られて死んだ。そして修羅道に堕ちた。 平家の世となったのは二十数年前。一昔といえる年月の隔たりがある。平家の栄光のまっただ中、僕は一門として生まれ、育った。だが、過ぎてしまえば何もかも、夢の中の出来事と変わりはない。 都落ち。なんと哀しく響くことか。寿永二年の秋。風に誘われるままに舞い落ちる木の葉。そして僕らの運命もまた。幹を離れた葉は風にさからうすべを知らない。追われ追われて散り散りに。かろうじてとどまれるのは水面。それとていつかは流されようものを。さまよう小船にも似て、僕らも木の葉も。夢にさえ、もう元へは戻れない。 籠の中の鳥は閉じこめられてはじめて、雲を恋しがる。故郷に向かうはずの雁の群れではないのか、列を乱してどこを目指すというのか。 あて無くさまよう旅寝の日々。いつしか日も積もり年が明け、ともかくも落ち着いたのが、この一の谷、須磨の浦だった。 背後に迫るひよどり谷を吹き落ちる風。僕を震わすのは寒さか、予感か。冷たい海で夜昼となく乱れ騒ぐ船。僕の袖をぬらすのは波か、涙か。 漁師の小屋に住まうなどと、いったい誰に想像できたというのか。磯馴れ松の如く水辺を這い、柴を敷いて寝る日々を。 栄光からの転落。かくも哀れなる一門、その行く末を思うと一層胸がしめつけられる。 だから、僕は笛を吹く。兄が琵琶を返していったように笛を都に置いていくなど、思いもよらなかった。笛だけは都も須磨もかかわりなく、常に僕の傍らにある。僕に出来るのは笛を吹くことだけなのかもしれない。都を思い一門を思い、笛を吹く。そして、ただ吹きたいから、吹く。これまでも、そう、これからも。
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仕舞・羽衣キリ 羽衣です。天女です。誰が何と言おうと天女なんです、私が舞っているのは。 日本各地に伝わる羽衣伝説。このお話の場所は駿河の国です。三保の浦の、とある松の枝に掛けてある天女の羽衣を見つけたシアワセ者は、漁夫の白竜という人でした。羽衣がなければ天上に帰れないと嘆き悲しむ天女に、彼は羽衣を返す代わりに天上界の舞を見せて欲しいという条件を出します。それでも、羽衣を返してしまったら欺いてすぐに天上へ帰ってしまうのではないか……疑い深い白竜に、 いや疑ひは人間にあり 天に偽りなきものを ごもっとも、なお言葉。 羽衣を身に纏った天女は、三保の松原の春の景色を愛でながらそれはすばらしい舞を舞って、やがて大空の霞にまぎれて消えていったのでした。 能『羽衣』は物語云々よりも天女の舞の美しさに重点がおかれているようです。難しいです。天女ですもの。優雅で清らかに、でもはなやかで爽やか……ああ、自分の首絞めまくり(泣)。 果して私は白竜が満足する“天女”になれるのか? が、頑張ります。
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仕舞・大江山 今回も、お酒にまつわる演目です。(ありがとう。)鬼退治のお話です。 源頼光が、勅命を奉じて従者を伴ない、いずれも山伏姿で大江山の鬼退治に向かいます。その途中で、血のついた洗濯ものをしている女に出会います。鬼によってさらわれた都の女です。彼女の案内により、一行は酒呑童子の棲み家を訪れます。この酒呑童子・大江山の鬼神、頼光一行とも知らず山伏と酒を汲み、酔うままに喜戯する無心さに終始します。酒宴の後、まどろむ鬼は武装した頼光一行に急襲をうけ、首を打ち落とされてしまうのです。 前シテは童子の姿で、後シテは鬼神の姿です。今回、私が舞う場面は前シテの童子が酔いつぶれて寝てしまう場面です。 「酒の肴は何がええやろなあ。」と始まる、酒好きにはうってつけの演目。最後には、酔いつぶれたところを退治されてしまうのですが。 謡のなかには、「顔が赤いのは酒のせいやで。鬼やから赤いんとちゃうもんね。」という節が出てきます。退治される側の鬼とはいえ、なかなか親しみの湧く鬼ではないですか。 まあ、酒も度を越すと痛い目見るで! という教訓かもしれません。(たぶんちゃうやろ。) では、見て下さい。
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仕舞・鞍馬天狗 立て! お前はこれしきで終わりなのか? こんなことでは源氏を建て直し、平家を滅ぼすことなどできんぞ! さあ、立て! しごいているのは、鞍馬山に住む、大天狗で今回の主人公。しごかれているのは遮那王、幼きころの源義経である。 さて話を進める前に、なぜ遮那王が天狗にしごかれているかを説明しよう。 時は、源義朝が平清盛に敗れて、平家全盛のころ。義朝の九男である遮那王はその頃寺に預けられていました。ある日鞍馬山へ花見に行き騒いでいると、一人の山伏が現れました。よそものが現れたせいか場は冷めてしまい皆帰ってしまいました。しかし遮那王だけが帰らず残っていました。そう、彼は置いてきぼりをくらったのです。不憫に思ったのかそれとも気に入ったのか、山伏は、彼を奥の花の名所に連れていってやり、楽しませてあげました。そして山伏は自分が鞍馬山に住む大天狗だということを明かし、“源氏再興”に力を貸すと約束をして去っていきました。 今回お仕舞でするのは修行後の話で、天狗と遮那王が別れる場面です。能では天狗は、お別れのあいさつをします。動作は子方(=遮那王)の前に跪き頭を下げるというものです。(この時後ろの地謡は「いーとまもおしてー(暇申して)」と謡っています。)この後天狗は去ろうとするんですが、子方が「待って! いかないで!」といわんばかりにテケテケと走り、天狗の袖をつかみます。天狗は、その腕を振り払い山へ帰って行ってしまいます。今回は、お仕舞であって能ではないから子方は登場しません。しかしその辺は、子方がいると想像力を働かせながら観てくださいな。 最後に、「わーい、わーい」やっと待望の“飛び返り”(言葉通り飛んで一回転する)ができる。いままでおとなしいのばっかりだったからなあ…。
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素謡・竹生島 私どもがこうして、彦根城の能舞台をお借りして発表するようになって、もう四回目となります。その四回全てに登場している曲の一つが、『竹生島』です。そして、この『竹生島』の披露の仕方の変化には、私どもの歩みの跡が見うけられるのですね。 まず、第一回淡海能では、我らがお師匠さん、深野新次郎先生が番外仕舞として舞って下さり、その時地謡をしたのが付き合いの始まり。この先生の粋な選曲に、部員一同「やっぱり近江だものね」と大層喜び合ったものです。竹生島は大学からも見えるのですよ。 第一回あやめ会では、部員一同の連吟として、第二回淡海能では二回生(今やみんな三回生です)の連吟として披露いたしました。謡う部分は、仕舞の地謡と同じでした。 そして、今回は、素謡。一曲すべて謡います。もちろん、今までにも素謡をやったことはあります。けれど、最初は比較的簡単なものからはじめましたもの。七つ目にしてようやくたどり着けた『竹生島』なのです。 その思い入れたっぷりの『竹生島』。お話の紹介もしておきましょう。 ―――桜の頃。都人が念願の竹生島詣でをすることにあいなった。竹生島には霊験あらたかな弁才天が奉られているのだ。逢坂の関を越えて鳰の海のほとりに着き、いざ竹生島へと心は逸るが渡し舟がない。そこへ折り良く来合わせた釣舟。便乗させてもらおうと呼び寄せる。その舟には漁師の老翁と若い海女(湖女?)が乗っていた。 「爺さん、乗せてんか」 初めは難色を示した老翁。しかし、弁才天へ参る、とあっては無碍に断るわけにもいかない。海女とも相談のうえ、連れて行くことにした。 湖上からの美しい景色を愛でつつ、舟は進んだ。わけても、緑の生い茂る竹生島が湖上に姿を移す様が素晴らしい。波間を行き交う魚はあたかも梢を昇っていくかのようである。月が出て湖水に映れば、月に住む兎は波間を走るのだろう。 舟が着き、老翁は都人を案内した。しかし、島にまで海女が入ってきたことを都人はいぶかしがる。女人禁制ではないのか、と。だが、それはうがち過ぎというものであった。何故なら、この島に奉られる弁才天は女体の神であるのだから。そして、何を隠そう、この海女こそは弁才天であり、老翁は湖中に住まう龍神であったのだ。正体を都人に告げると海女は御殿に入り、老翁は湖中に沈んで姿を消した。 暫くの後。御殿が揺れ動き、現れた光り輝く弁才天。神の出現とともに虚空には妙なる楽の音が鳴り響き、あたりには花弁が降りしきる。その中を楽に逢わせて舞い遊ぶ弁才天の美しさは筆舌に尽くし難い。 弁才天の舞の後は龍神の登場。波を蹴立てて颯爽と現れた力強い龍神は都人に宝珠を奉り、衆生を救うこと、国土を護持することを約して弁才天とともに帰っていった。 さ、素謡ですから、このお話をちゃんと役を割り振って謡うんですね。そして、しかもです。この秋の淡海能ではこの『竹生島』で本式のお能を出します。いやぁ、ここまで来ましたよ、私どもも。その際に役になる人(老翁・海女・弁才天・龍神)が、この素謡でもその役を担当しております。秋には、さらにグレードアップして帰ってくる『竹生島』、その前哨戦として、一同頑張ります。
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仕舞・高砂 さて、この『高砂』、結婚式の祝儀の謡などですっかりお馴染みの、あの『高砂』です。 播磨国の高砂と、摂津国の住江の二本の松は“相生の松”といわれ、「離れていても二人の愛は変わらないよ」という理想の夫婦の象徴として親しまれています。能楽『高砂』は、この二本の松の木のお話なのです。 前半は、高砂と住江の松の木の精がおじいちゃんとおばあちゃんの姿で登場し、松のめでたい謂れや、夫婦共に健康で長寿を保ち、仲睦まじいことを自慢して去っていきます。後半では、高砂の松の本体、住吉明神が現れ、千秋万歳を祝い舞います。 私が今回舞わせていただきますのは、明神が民の平安と天皇の長寿を祝福して颯爽と舞を舞う部分です。私個人としては、人の幸せばかり祈ってる場合じゃないので、今度縁結びの神様として有名な高砂神社に自分の幸せを祈りに行こうと思っています。
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仕舞・菊慈童 所は中国レッケン山。この山の麓に涌き出る薬の水の水上を見てくるようとの命を受け、魏の文帝(=曹丕)の勅使が、この山にやってきます。その山奥の庵には、怪しい童子が住んでいました。童子は、自分は周の穆王に仕えていた慈童であると名乗ります。周の穆王の? ますます怪しい。それというのも周の穆王は、魏の文帝から七百年(史実では千二百年)も昔の人だからです。童子は、王の枕をまたいでしまった罪でこの山に流されてしまったのですがあまりに哀れに思った穆王は、ありがたいお経の文句を書いた枕を童子に授けます。童子の住む庵の周りには、菊がたくさん咲いており、お経の文句をその菊の葉に書いたところ、葉に置いた露が滴り、流れとなって、その水を飲んだおかげで童子は何百年も昔の姿のまま生き続けているのです。童子は勅使に不老不死の菊水を汲んでは勧め、自らも飲み、酔って菊の上に臥したりします。そして七百歳の齢を帝に授け、また山奥の仙家に帰っていくのです。 このお話の舞台になったレッケン山は、今の中国・河南省にあるそうです。もしかすると今でもその慈童が住んでいて、不老不死の薬の酒を飲ませてくれるかもしれません。一度行ってみたいものです。 (レッケン山は■(麗にオオザト)縣山、と書きます。)
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仕舞・鶴亀 僕は今頭ん中が真っ白だ。 すごくいい気分だ。 …僕は今舞を舞っている。
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仕舞・田村キリ 謡曲『田村』における鬼神についての一考察 古来よりの名のある武人といえば将門、純友、頼光、義経等々。それらの筆頭に冠される、すなわち我が国初の武将の栄を担い世々の尊崇を受けてきたのは誰あろう、坂上田村麻呂である。『田村』の主人公はその坂上田村麻呂に他ならないが、内容は千手観音霊験譚とでも言うのが正しい。以下に記す話の概略をまずは見ていただきたい。 ――京の清水寺を訪れた僧が桜の下で出逢った少年は、坂上田村麻呂が建立したという清水寺の由緒を語った。周囲の名所をも語り、景色を愛でる少年の非凡さに、僧は名を尋ねた。自分の行く方を見よ、と答えて少年は坂上の田村堂へと消えた。その夜、桜の下で法華経を独誦する僧の前に田村麻呂の霊が現れ、観音の仏力によって鈴鹿山の鬼神退治がなされた様を語った。―― 『田村』の主題は、本人の戦い再現にはないのだ。キリの部分を詳しく見てみよう。 ――「鬼神め、聞くがよい。昔より朝敵の栄えた例はないのだ。ましてここ、鈴鹿山は都に近いのだぞ」鬼神の群か、どよめき出した伊勢湾沿いの安濃の松原。鬼神は空から火花を降らし、瞬時に数千騎の群れとなる。その様あたかも山の如し。その時である。「あれを見ろ、何と不思議なことよ」味方の軍の上に光り輝く千手観音が現れた。千の手全てで矢を放ち、その千の矢は雨霰の如く鬼神軍に降り注いだ。そして、鬼神は全て滅びた。有難い、まさしく観音のお力である。―― この鬼神退治は、事実無根である。しかし伝説は有名かつ根強い。では、田村麻呂の退治したという鬼神はどこから生まれたものなのか。 おっと残念、紙数が尽きた。この続きはいずれまた。此度はこれにて御免。
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仕舞・杜若キリ かきつばた 昔男は失意のうちに三河の国の八つ橋に着いた。禁じられた恋、愛したあの人は帝の后だった。このスキャンダルで都に居られなくなった。東下り、貴種は流離する。ああ、都を出てどれほど月日は過ぎたのだろう、あの人はまだ私のことを想っていてくれるだろうか。そして詠んだ。 からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ それも昔のこと。その地に沁みついた、人の「想い」が見せる、夢の名ごり。(残留思念か?)物語が終わってしまったところから始まる、もう一つの物語、物語の名ごり。 旅の僧が通り掛かり、満開の杜若を眺めていると、その地の女が現れる。彼女は語る。『伊勢物語』の「八橋の段」、在原業平(かの有名な色男♪)が 女は僧に一夜の宿を提供する。夜半過ぎ「ねえねえ見てみて、この冠と 冠は業平の、 再び杜若の精に戻り、舞う。やがて空が白んでくる。草木といえども成仏できるのを喜びつつ夜明けと共に彼女は消え失せる。(今回の仕舞はこの部分です。)
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仕舞・小袖曽我 『曽我物語』は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて成立した軍記物語風の伝記物語です。日本三代仇討ちのひとつなのだそうです。主人公は曽我十郎 彼等の仇討ちの成就までの道のりは、本当に困難でした。父の仇の祐経は、かの源頼朝お気に入りの家臣で、これを討てば「世を乱す不届き者」とみなされてしまいます。また、幼かった兄弟に仇討ちを誓わせた母親も次第に平穏な生活を望み、彼等にその志を捨てさせようとします。もちろん、最後には仇討ちは成功するわけですが、そのために兄弟それぞれもまた非業の死をとげなければなりませんでした(涙)。 こんな曽我物語は、能の題材にも多く使われています。 でもってこの『小袖曽我』は、仇討ちの好機があり、兄弟そろって母を説得しにいく場面です。「小袖」というのは、母親から餞別として小袖をもらうところから来ているそうです(能ではこの部分は省略されてしまって、ないんです)。仕舞は、母親の許しを得て、そして仇討ちの門出を祝う宴で兄弟が舞う晴れがましい場面です。舞っているのは私一人なのですが、淡海能ではちゃんと二人で舞囃子をします。乞うご期待(めちゃくちゃ難しいって)。 ではお兄ちゃん祐成の舞、ご覧あれ。
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仕舞・融 融、と書いて「とおる」と読むのです。男の人の名前です。 この融くんは自宅の庭に立派な釜をこしらえ、灘の海水を運んできて煮て、塩の焼ける煙を鑑賞したりするような、それは風流なお人です。まぁ、お金持ちだったのだね。 美しいものをこよなく愛し、贅を尽くした暮らしをしていたらしいけど、融くん本人は美しい人だったんでしょうか? はて。舞っている私としてはそう思いたいところですが。 さて、この融くん、実はこのお話では幽霊なんであります。 所は廃虚となり果てた融のお屋敷の跡。ご自慢の庭も、草が伸び放題。屋敷も住む人がなくなり、瓦は飛び、天井の梁がむきだしになっている、そんな様子でしょうか。 時は、日が沈み、ほの暗くなったところへ東から、光る、瓜のようなそれは美しい月がゆっくりと昇ってきたところであります。 そこに現れたるは、在りし日の融の君。我が屋敷は廃虚となり果てても、月は相変わらず美しいままで、融の胸に響いてきます。 屋敷も、この私も、もはや姿形を失ってしまった――。 しかし月はいまも昇り、それはまるで永遠に続くかのようである。融は廃虚でひとり、月への思慕を胸に舞いはじめる――。 というのが、このお話です。この融の舞を私が舞うわけです。えらいことやね。 なにせ難しい。謡も舞も両方いっぺんにやるのが大変。 けれど、この謡がまたいい謡なのです。世阿弥の作なのだけれど、現代でも「あれほど月の、怖ろしいまでの美しさを見事に表現したものは他にない」と言われているそう。 なので、舞は目を瞑ってください、といいたいところですが、舞のほうも頑張りますので、どうか見ていてください。
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附祝言・猩々 附祝言、それは会の最後にめでたい意味合いを持った能を演ずる替わりに、能のめでたい一節を謡うことです。 いままで、我が能楽部が会で使った附祝言の謡としては、この『猩々』のほかに、結婚式で有名な『高砂』や宝船の出てくる『岩舟』などがあります。 能『猩々』は中国のお話。金山の麓、揚子江のほとりに住む親孝行な高風は、不思議な夢のとおりに市に出て酒を売ると、次第にお金持ちになりました。変なオトモダチもできました。かれは、いつも市に来ておいしそうにお酒を飲むのにちっとも顔色が変わりません。高風が名を尋ねると、かれは海中に住む猩々という妖精だといいます。猩々はお酒が大好き。高風は月の美しい夜、かれのために菊花の酒を壷になみなみと用意して待っていると、お酒と、友達の高風に会える嬉しさで猩々は海から姿を現し、酒を酌み交わします。 月の輝く中で、ヨシの葉の揺れる音を笛に、波を鼓の音にして猩々は舞を舞います。そして高風にどれだけ汲んでも尽きることのない酒壷を与えて消えてしまいました。 さて附祝言。会の最後の演目・仕舞『融』が終わったら、地謡がすぐに謡い出すので聴きそびれないように。
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いかごはん梅子が贈る 仏でオホホ ご機嫌いかが? 梅子です。梅の実を育てる雨の季節ですね。またも登場してしまいました私、今回取り上げますのは『田村』です。真の主人公には坂上田村麻呂にあらず、千手観音なり――なんて聞くと、黙って見過ごすわけにはいきませんのですわ。 千手観音さんは文字通り、観音さんの一種です。この世とかあの世をひっくるめた広い広い世の中の生きとし生けるもの全てに救いの手を差し伸べてくれるお方なのですが、お一人では大変。なんせ、“世”は六つもありますからね。天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道です。この六道を己の罪障にしたがって衆生は輪廻しておるのです。で、観音さんは考えました。六人いれば、一道ずつ担当できるじゃんか!ってね。頭いいな。そうして生まれた、いわば観音さんの分身が、五人おられます。如意輪さん(天道担当)、不空絹索さん(准胝さんの場合も。人道)、十一面さん(修羅道)、馬頭さん(畜生道)、千手さん(餓鬼道)。そして地獄道を担当するのがオリジナルの観音さん、通称聖さんです。私はこの六人を“六道輪廻ロッカンノン”と呼んでます。かっこいいでしょ。 しかし、昔からそうだったのではないのですね。実際は、観音さんのお力を皆に分かりやすくするために、いろいろと得意分野を持たせて一人、また一人と生み出されたのです。はじめに出てきたのは十一面さん。十一面さんは本物の他にあと十一もあるお顔で四方八方どこへも目を向けていて下さるんです。十一面さんは観音さんの元々の性格、「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」を地で行ってますから皆に凄く人気が出まして。で、その次なんですね、千手さんが出てきたのは。 私、実は十一面さんの大ファンなのですけれども、心の狭い十一面ファンの立場からしますと千手さんというのは、ずるいと思うんですね。だって、千も手を付けるなんであんまりじゃないですか。しかも、千手さんにも十一のお顔があるんですよ。十一面人気をふまえさらに千も手を付けてるなんて、これは後出しジャンケンにも似て感じ悪い! なんて悪口言ってると、それこそ十一のお顔の一つのレーダーに引っかかり、千の手の一つでひょいとつまみあげられかねませんけどね。ま、そのくらいすごいお方だということです、千手さんは。 『田村』に戻りましょう。キリの最後のほうに「…実に呪詛。所毒薬念彼。観音の力を合わせて即ち還著於本人即ち還著於本人の…」という呪文めいた部分がありますが、これは法華経の観世音菩薩普門品第二十五、いわゆる観音経からの引用なのです。
という所なのですが、つまり魔術や毒薬なんかを使って敵がやっつけようとしてきた時には観音さんを信じれば、その毒や術の効き目はそれを用いた本人、つまり敵自身に帰っていきますよ、とそういう意味なのですね。 そう、鬼神は奇術を弄して田村麻呂をやっつけようとしましたが、田村麻呂は観音さんと仲良しですのでかえって鬼神は敗れた、って事なんですね。観音さんって素敵! いやぁ、めでたい、オホホ。
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