■第七回 あやめ会■
平成十六年五月二十二日(土) 十四時始
素謡 竹生島 仕舞 嵐山 玉鬘 巻絹キリ 素謡 田村 仕舞 雲雀山 天鼓 素謡 大仏供養 仕舞 清経キリ 蝉丸道行 大江山 附祝言 終了予定 十六時頃
|
仕舞・嵐山 ある日、嵯峨帝はお花見に行こうと思いました。有名な吉野の桜がこの間移植されてきたので、嵐山あたりが妥当だなと思います。 まあそんなこんなで、臣下が桜の様子を見に嵐山に行ってみると、老夫婦がその桜の木の下を掃き清めていました。二人は桜の謂れと「ここにはよく神様がくるのよ」ということを教えてくれて去っていきました。実はこの老夫婦は子守明神さんと勝手明神さんだったのです! 帰ってきた子守さんと勝手さんは、臣下の皆さんに正体を現し、桜を愛でて舞います。ああ、なんと素晴らしい桜なんでしょう……。そんな時現れたのが主演の蔵王権現さんです。蔵王権現さんはとっても強い神様です。見た目もすっごく強そうな感じです。でも気は優しくて力持ちなタイプです。片足を上げては人々を縛る苦しみを取り払い、空高く御手を上げては人々の煩悩を払ってくれます。登場は派手でしたが、現れたのも美しい花に誘われての事だったのです。子守さん、勝手さんと合流すると、一緒に花を愛でて、梢に翔って例の桜がどれだけ素晴らしいかを讃えたのでした。 実は今回出てきた仏様方三体は同じ仏様が分身していたのです。仏様が人々を思う心は深いですね。
|
仕舞・玉鬘 旅の僧が奈良から初瀬(長谷寺)詣でを志し、初瀬川までやって来ました。そこへ急流に棹をさし、一人の女が近付いてきます。僧がその女に話しかけると、自分は初瀬詣でに行く者だと答え、初瀬山の紅葉を楽しみながら、僧を二本の杉へと案内しました。僧はそれを見て、 「二本の杉の立所を尋ねずは古川野辺に君を見ましや」(『源氏物語』玉鬘) という和歌について尋ねます。すると女は、それは右近の歌であると言い次のように語りました。 玉鬘は母・夕顔の死後、乳母と筑紫へ行きました。しかし、気の進まない結婚を強いられ、そこから逃げるように再び京へと戻ってきます。その後長谷寺へ参詣した際に、縁あって母の侍女右近に再会したのです、と。 そして自分は玉鬘の亡霊であるということを暗示し消えていきました。僧が玉鬘の亡霊を弔っていると、そこへ髪を乱し狂乱する玉鬘の亡霊が現れます。 仕舞で舞う場面はここからです。悟りを妨げる妄執の雲霧を、初瀬の山颪が激しく吹き散らすように、わが身も朽ちてしまえば良いのに。もはや人の恨みも世の恨みも思いはしない。ある時は沸き返る水のように恋焦がれていたことも、今思えば恥ずかしいことであった。……と懺悔し、ついには成仏して、消えて行きました。「恋は盲目」と言いますように、恋する女は時として、周りが見えなくなるものです……。
|
仕舞・巻絹キリ 天皇により、千疋の巻絹を三熊野に収めよとの宣旨が出ました。臣下は各地から巻絹を集めますが、都から来るはずの巻絹が約束の日になっても届きません。どうなっているのだと思っていると、遅れて都人が巻絹を持って到着しました。臣下は怒って都人を縄で縛って捕らえてしまいます。 と、そこへ一人の巫女が現れました。いきなり現れたその巫女は、その者は昨日この音無の天神に歌を詠んだ者だから縄を解け、と言うではありませんか。どうやらこの巫女には天神が乗り移っている様です。しかし臣下は、この様な者が歌など詠むはずが無い、と取り合おうとしません。そこで巫女は、「昨日詠んだ歌の上の句を彼に問うてみて下さい。私はその下の句を続けましょう。」と話を持ちかけます。臣下も、それなら詠んでみるがよい、と賛同します。 音無しにかつ咲き初むる梅の花 都人が上の句を詠むと 匂わざりせば誰が知るべき 続けて巫女が下の句を詠みます。 こうして都人は無事罪を許され解放されました。 巫女は和歌の持つ力を説くと、神懸りが更に強くなったように神々のことを語ります。その姿は、狂っているようで恐ろしくも見えます。 そして巫女は御幣を振りながら数珠を揉み、袖を振って舞うと、「神はもうお上がりになりました」と言い捨て、正気に戻ったのでした。
|
素謡・田村 ある旅の僧が清水寺を訪れます。桜が大変見事な春のことでした。特にこの寺の桜が美しいのには訳があります。地主権現の社殿の桜がそのまま観世音菩薩への手向けの花となっているのです。観音様のご威光で他よりも美しい桜が咲いたとしても不思議はないでしょう。 さて、そこに美しい箒を持った童子が現れました。花の木の陰を掃き清めて回る不思議な雰囲気を持つ少年です。彼によれば、この清水寺は大同二年、坂上の田村丸が祈願のために造ったのだということ。昔、大和の国に住む賢心という僧は、生きている仏を捜し求めて一人のおじいさんと出会います。行叡居士と名乗ったその人は、施主が現れるから、そのお金で大伽藍を建立しなさいといって飛び去りました。行叡居士こそ賢心の求めていた生身の仏だったのでしょう。そしてその施主が坂上の田村丸だったのです。少年は僧が尋ねると周囲の名所についても詳しく教えてくれました。あちらこちらと眺めるうちに音羽の山から月が昇り、寺の桜をぼんやりと照らす様子は本当に美しいのです。「春宵一刻、値千金」などと書かれた詩もありますけれど、千金にも換えがたい瞬間というのはまさに今なのでしょう。柳は青々と葉をつけ、音羽の瀧の流れも白い糸のよう。そしてこの地主権現の桜の美しさは他の場所とは比べ物になりません。 もともと不思議な感じを持つ少年ですが、一緒に時間を過ごすうちにその感じはいよいよ強まってくるのでした。そこで僧は尋ねます。 「様子を拝見していると、とてもただの人とは思えません。お名前はなんとおっしゃるのですか。」と。少年は帰る方を見ていなさい、とだけいうと田村堂の中へと消えていったのでした。 さて、僧がお経を読んでいると立派な武将が現れます。彼こそは坂上の田村丸、先ほどの少年は田村丸の仮の姿だったのです。彼は僧の問いに応じて自らの正体を明かし、過去を語り始めました。天皇によって、田村丸は鈴鹿山に住む鬼の退治を命じられます。そこで清水寺の千手観音に祈り、心を強くして出かけたのでした。鈴鹿山に着くと鬼たちの天地を揺るがすかのような声、戦が始ります。鬼は皆馬へと姿を変え、襲い来る様子はまるで巨大な山が迫ってくるよう。また黒雲から降る鉄火も田村丸たちを襲います。その時です。彼が味方の旗の上に千手観音様がいらっしゃるのに気付いたのは。観音様は鬼に向かって雨あられと矢を浴びせかけあっという間に田村丸を勝利へと導いてくださいました。お経の文句にあるとおり、観音様を信じれば素晴らしい御利益があるものです。田村丸も観音様の仏力を借りて鈴鹿山の平定に成功したのでした。
|
仕舞・雲雀山 花売りに花を売る理由が聞きたいとは難しいことをおっしゃる。でも、花を買ってくださるというならお話しましょう。それは私の大切な姫様を養うため。あぁ、過ぎてゆく春が惜しい。都では高いご身分だった姫様。それが鳥の声を間近に聞くような山の中で暮らすことになるとは。奈良と和歌山の境、雲雀山に隠れ住み、霞の網にかかった小鳥のようにそこから出ることもかなわず、見通しのきかない谷陰のように先のことも分からない。降りる露も、身を打つ雨も消してはくれないその境遇が本当にお可哀想で。 雲雀山は中将姫の物語をその乳母の視点から見たお話です。継母の計略によって父親に捨てられた中将姫は、雲雀山に隠れ住むことになります。乳母が花を売って生計を立てていますが、貧しく訪れる人もいない寂しい生活でした。乳母がいつものように花を売りに行くと、都から来た一行と出会います。花を売る理由を問われ、姫の不遇を語り、舞う乳母。その時中将姫の父親が現れ、過去の過ちを悔いていると話します。実はその一行、中将姫を探しにきた父親のお供だったのです。乳母の道案内によって涙の再会を果たした親子は、奈良の都へと帰っていくのでした。 めでたしめでたし
|
仕舞・天鼓 昔、中国に天鼓という少年がいました。彼が生まれた時、天から鼓が降ってきたために名付けられたのです。 ところが、天鼓少年は、鼓を手に入れようとした皇帝によって、呂水に沈められてしまったのです。鼓はその日から音を出さなくなりました。 皇帝は天鼓の父を呼び、鼓を打たせます。父が、子を失った悲しみに涙を流して打つと、鼓はかつての音を取り戻しました。皇帝は親子の愛に感激し、天鼓を丁重に弔うことにします。 七夕の夜、呂水にて追悼の管弦講が開かれます。すると、天鼓の霊があらわれ、鼓を打つことを許されます。 「実に楽しい夜です」。久々の現世、鼓との再会に天鼓の声も弾みます。 秋風楽が涼風を呼び、松の並木が揺れます。空には月も清らかに輝き、ふと頭を巡らせれば、牽牛と織女が天の川にかかった橋を渡っているではありませんか。講は夜通し続き、深夜には夜半楽が演奏されるのです。 下界の水は天子である皇帝の足許から南へ流れ、星々は天帝である北極星に拝謁している、といわれます。空には雲が流れ、波立つ海のようです。天鼓は呂水の湖面に映る月に歌い、水上に舞い、波間を飛び回るのでした。 やがて夜明けの鐘が鳴り始めます。鳥たちも様々にさえずりだし、時刻を知らせる鼓も聞こえます。天鼓は名残を惜しむように鼓を打つと、幻のように消えていくのでした。
|
素謡・大仏供養 平家が滅亡してしばらく経ったころのお話です。 滅亡したといっても、生き残っている人たちもいて、源氏に見つからないように細々と暮らしていました。景清さんもその一人です。景清さんはそれなりに名の知れた平家のお侍さんで、悪七兵衛という肩書きを持っていました。 ある日、清水寺にお参りに行った景清さんは、そこで頼朝が東大寺で大仏供養をするという噂を聞き、仇を討つチャンスだと思い、急いで奈良に向かいます。ところで奈良と言えば、景清さんにはもう一ヶ所寄りたい所がありました。若草のあたりに実家があり、お母さんが一人で暮らしているのです。 その頃、お母さんは、景清はどこにいるのだろうと案じ、もう一度会わせてくださいと仏様に祈願していました。その時玄関からノックの音と声が。お母さんはすぐに景清の声と分かりました。誰かに見つかったら大変なので、とにかく急いで家の中に入れてあげます。積もる話もあったのですが、お母さんは気になるうわさを耳にしていました。 「頼朝を狙っているという話を聞いたけれど本当なの?」 うわさが飛ぶのは早いものですね。景清さんはびっくりしますが、自分の決心が固いことをお母さんに示します。お母さんとしては息子に危ない事をして欲しくないのですが、それを振り切って景清さんは仇討ちに出発します。 大仏供養の当日の朝は雨が降っていました。白張浄衣に立烏帽子を身に付け、宮人の姿に変装した景清さんは、頼朝さんを見つけ近づいていきます。しかしここであまりに近付きすぎてしまい、頼朝さんの臣下の一人に呼び止められてしまいました。まだ正体はバレていないので、なんとか宮人のふりで切り抜けようとしますが、仇討ち用に持ってきていた刀を見つけられてしまいました。宮人は刀なんて持っていないのです。完全に不審人物となってしまった景清さんは問い詰められて一旦、人ごみの中に逃げ込みます。そして臣下の人が不審者が景清さんだと気付いて、他の警護の皆さんに景清を討ち取れと命令します。 その時景清さんは人ごみの中から突然現れて、名乗りを上げて大勢の警護の兵達に切りかかっていきます。 「このまま逃げては平家と自分の名が廃る。せめて相手に一泡吹かせなくては」 と思ったのです。景清さんはなかなか強い人なので、切りかかると皆一旦は四方へ逃げました。そこへ一人の若武者が進み出てきました。激しく切りあい、景清さんはその若武者をやっつけます。しかし多勢に無勢。自分の分の悪さを悟った景清さんは 「今日はここまでだ、覚えとけよ」 と、捨て台詞を残して逃げていきました。
|
仕舞・清経キリ 平清経は合戦に負け、自害しました。彼の遺髪を届けに、家臣が清経の妻の元を訪れます。 戦死や病死だったならまだ恨みも晴れるのに、自殺など。また必ず逢おうとの約束は偽りだったのか、と妻は嘆きます。見ているとかえってつらくなるから、と遺髪も返してしまいます。 夜更け、夫の死を悲しみ、伏せっている妻の枕元に清経の霊が現れます。妻は自分一人を遺して死んだ夫に恨み言を述べますが、夫も、遺髪を受け取らなかった妻を責めます。互いに恨んでいても悲しいだけ。慰めるため、清経はこれまでのことを語ります。 西海での戦に負け、都への帰路、世の中の物憂さに気づかされた。所詮消えねばならない儚い身であるのに、いつまで生きてつらい目を見ようか。そう思い、最期に笛を奏し、念仏を唱えて舟から身を投げたのだ。 死後は修羅道に堕ちた。修羅道とは、現世で戦をした者や猜疑心の強かった者が堕ちる世界。そこでは立つ木はみな敵となり、雨は矢となって降りかかり、大地は剣となって身を刺し、山は鉄の城に変わる。旗をなびかせ、盾を並べ、驕慢の心の変じた剣を揃え、戦い続けなければならない。煩悩や迷いの心、悟りの心までもが乱れる敵となって襲ってくる。現世で戦をした因果でこのように苦しんだが、最期に唱えた念仏によって救われ、成仏することができた。ありがたい。 そう語って妻を安心させ、清経は姿を消したのでした。
|
仕舞・蝉丸道行 それにしても蝉丸といい私といい、浅ましい因果を背負って生まれて来たものね。皇子・皇女として生まれながらこのような業を与えられるなんて。弟は盲目。そして私は逆髪……髪が逆立って……なぜ髪は下がらないの? なぜ空を、天を求めて生い上るの? そして私は本当に狂ってるの? もう、都にはいられない。追い出されたのだわ。でも、その方がいいのよ、お父様のためには。私だって、哀れみと蔑みの目で見られるのにはもう耐えられない! どこへ行こうと構わないってことだわ、人目を恥じて部屋に閉じ込められる事もないし、私は自由よ! 自由、自由……自由って? 私は泣いているの? 鴨が泣いているの? 鴨川、白川を渡っても先のことが知れるわけではないわ。ここが粟田口ね。この坂は松坂というのね、この坂を越えれば誰か待つ人があるかしら……いいえ、私を待つ人なんかいて? こんな私を? いやしないわ。音羽山まで越えてしまった。関所のこちら側と思っていたのに。これで都も見納めだわ、私の生まれた都……あら、松虫の声……これは鈴虫ね、キリギリスもいる……ああ、山科の人たち、どうぞそっとしておいて。狂ってはいても心は清いの、あの清滝川のように。 もうじきだわ、逢坂の関に着くのも。これが走井の水なのね……おお、ひどい! 水に映る私の姿のなんと浅ましいこと! 髪も、化粧もひどい、ひどい……この姿からは逃げられない……。
|
仕舞・大江山 平安時代後期、源頼光は時の天皇より大江山に住む酒呑童子という鬼の退治を命ぜられます。酒呑童子は人をさらうなどの悪事を働き、人々からおそれられていたのです。 頼光は部下を引き連れ、山伏に変装して大江山に向かいました。酒呑童子の棲家につくと、頼光一行は道に迷ったふりをして一夜の宿を乞います。酒呑童子は、出家者には手を出さないという誓いを立てていたので一行を泊めることにしました。その夜、酒呑童子は自分が狙われているとはつゆ知らず、頼光たちと酒を酌み交わします。もともと酒好きな酒呑童子は、一行にもすっかり気をゆるし、酔いつぶれてしまいます。頼光たちは寝入った酒呑童子を襲い、見事その首を打ち落とし、都へと帰っていくのでした。 今回舞うのは、酒呑童子が酒を飲み、酔っていくという場面です。「さてお肴は何なにぞ」と、酒の肴を考えるところから始まります。酔うにつれ、酒呑童子の顔は赤くなっていきます。しかしそれを童子は「赤きは酒の科ぞ。鬼とな思しそよ」と、「赤くなったのは酒のせいである。鬼だからではない」と言い訳します。足元がふらつくほどになった酒呑童子は戸を押し開けて寝室に入ると、ついには眠り込んでしまいます。そして、その姿はまったくの鬼となっていました。
|