第八回 あやめ会



平成十七年五月二十八日(土) 十三時半始  
於 彦根城博物館能舞台
 第八回 あやめ会

 連吟 竹生島

 仕舞 嵐山
    経正クセ
    杜若
    巻絹キリ
    鞍馬天狗

 素謡 吉野天人

 招待出演 彦根新声会

 素謡 船弁慶

 仕舞 清経キリ
    胡蝶
    天鼓
    花月キリ
    紅葉狩クセ

 附祝言
 終了予定 十六時頃

主催 滋賀県立大学能楽部
指導 深野新次郎
深野 貴彦



連吟・竹生島


 このお話は、琵琶湖に浮かぶ竹生島を題材にとったものです。天皇の臣下が京の都から近江へとやってきました。噂に名高い竹生島を参詣するためでした。大津の浜から臣下は舟に乗せてもらうことになります。漁師のおじいさん、海女の娘さん、そして臣下を加え舟は進みます。季節は春。美しい景色に話も尽きません。舟上の会話を少し聞いてみましょう。
 湖上から見る山々には美しく桜が咲き誇り、まるで雪のよう。桜を雪と見るならば、花の雪が降り積もる比良の山は、都の富士といったところでしょうか。春とはいえ気温の下がる日もありますが、比良の嶺颪が吹いても沖へ漕ぎ出す舟が尽きることはないのです。旅にはよくあることといっても、普通にはお会いできない身分の高い方とこうして同じ舟に乗り、お話しすることができたというのは、嬉しいことです。ほら、そうこう言う内に竹生島が見えてきましたよ。青々とした木々が湖面に影を映し、その木の合間を縫って進む魚たちは木に登っているようにも見えます。月が姿を映すときには、そこに住むと言われるウサギたちも湖面を駆けるのでしょう。本当にこの島は美しいですね。
 島に着くと漁師と海女は本来の姿、国土を護る龍神と島に祀られている弁才天の姿となりました。そして仏の人々を救う誓願について説き、臣下に宝珠を渡して帰っていくのでした。

<九期生 S.T>



仕舞・嵐山


 京都の西、嵯峨嵐山が舞台の話です。
 桜の名所として有名な嵐山ですが、その桜はもともと吉野山のもの。吉野山はあまりに都から遠いため、花見の御幸も簡単にはできません。そこで、都にほど近い嵐山に、吉野の桜が移植されたのです。そして、桜が咲く時期になると、吉野の桜を守護する子守・勝手明神が時折嵐山にあらわれるそうです。

 嵯峨天皇の臣下が、嵐山の桜の様子を見にやってきました。吉野の桜が満開だそうで、嵐山も見ごろではないか、とお尋ねがあったからです。勅使一行が嵐山に着くと、老夫婦があらわれ、桜の木の下を掃き清め、桜に向かって祈念します。老夫婦は嵐山の桜のいわれを語り、実は自分達は子守明神と勝手明神なのだ、と正体を明かし、姿を消します。
 その後、今度は神の姿であらわれた子守・勝手明神が勅使一行の前で舞楽を奏してもてなします。
 続いて蔵王権現も姿をあらわし、壮大な舞を見せます。強力な神力で世を救う、とされている神です。憤怒の表情で、片足を踏み上げ、右手を高々と上げた独特の姿で描かれます。蔵王権現は満開の桜の木に戯れ、梢に翔り、衆生や国土を守る誓いを立て、栄ゆく春を祝うのでした。

<九期生 K.O>



仕舞・経正クセ


 平経正という人は大変な風流人であった。また青山(せいざん)という琵琶は元服時、彼が覚性法親王から与えられた名器であった。
一の谷の合戦で討ち死にした後、生前大切にしていた青山を仏前に据え置き、経正の霊を弔う管弦講がなされる。夜になるとぼんやりとした灯火の光の内に人影が現れる。誰かと尋ねると経正の霊であった。死してなお心惹かれる青山の琵琶を経正は手に取り掻き鳴らした。すると空が曇り、松の葉の風に吹かれて落ちる音は俄かに降る雨のよう。趣深いことだ。大弦という楽器の音は村雨のようにそうそうとしている。小弦という楽器の音はせつせつとしてささめごとの様。読経の声と管弦の調べの中で経正は舞う。

 琵琶においては一の弦、二の弦は秋風に吹かれて落ちる松の葉の音。低いかすかな音。第三の弦、第四の弦は夜の鶴が子供を思って鳴く声。高く澄んだ音。夜明けを告げる鶏よ、この夜遊の時間を惜しんでくれ。鳳凰の鳴き声を真似て作ったという笙の音。この音が秋の秦嶺山の雲を動かすと、鳳凰もそれを好んで舞い遊ぶという。高く低く響く声。心というものは声に現れるというが、心地よく聞こえてくる技巧を凝らした声々が私に昔を想わせる。私が舞の袖を返すように、私の心を昔に帰す。衣笠山がこんなにも近い。ここは私が幼少を過ごした仁和寺なのだ! なんと楽しい夜遊の時間だろう。

<九期生 S.T>



仕舞・杜若


 夏・四月(旧暦)、諸国一見の僧が三河国の八橋(現在の愛知県)までやってきた。僧が辺りに咲く杜若を眺めていると、一人の女性が現れた。彼女は僧にそこは伊勢物語の「東下り」の段で有名な所であると教え た。さらに、在原業平がそこで詠んだ歌、「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う」の句の上には「かきつばた」が置かれている、と話す。
 彼女は日が暮れてきたので、自分の家に泊まるよう僧に勧め、僧もそれに応じるのであった。
 その夜更け、彼女は業平と高子皇后に縁のある冠・唐衣を取り出し、身に着けた。実は彼女は杜若の精だったのだ。杜若の精は、業平は歌舞の菩薩であるので、業平が詠んだ歌も経文と同じ力があり、自分も成仏できるのだと喜び、舞い消えていったのだった。

 沢辺に咲く杜若と花あやめ、美しいのはどちらでしょう。いや本当によく似ています。その上の梢で鳴いているのは蝉ではありませんか。蝉といえば蝉の抜け殻。「から」といえば唐衣を思い出します。なんとまあ唐衣の袖の白いことでしょう。まるで卯の花のよう。舞っているうちに、東の空がほのかに白んで夜も明けてきます。浅紫色の杜若の花も悟りを得ることができました。さあ、今こそ、心が無いはずの植物を含めて全てのものが成仏できます。これも歌舞の菩薩である業平が歌に詠んだおかげです。

<八期生 M.I>



仕舞・巻絹キリ


 私は天皇の命により、都より熊野へ、巻絹(軸に巻いた絹布)を届けに来た。しかし途中で寄り道をしたせいで約束の日に遅れ、捕らえられ、縄で縛られてしまった。けれどそこへ巫女が現れ、助けようとしてくれた。その巫女は言った。
 「その者は昨日、音無の天神にて私に和歌を手向けた者。その縄を解きなさい」
 なんということだろう。この巫女には神がついているようだ。確かに昨日私は音無の天神で美しい冬梅を見つけ、和歌を詠んだ。しかし役人はそれを信じようとはしない。巫女はさらに続けた。
 「信じないのならば、その者に昨日詠んだ和歌の上の句を問いなさい。私が下の句を続けて詠みましょう」
 私は昨日の和歌を詠んだ。
 「音無に かつ咲き初むる 梅乃花」
巫女が続ける。
 「匂はざりせば 誰か知るべき」
 こうして私の疑いは晴れ、縄が解かれた。何とありがたいことだ。そして巫女は神をあげるため、舞い始めた。御幣を振りながら熊野の神仏について語るその姿は、まるで物狂いのようだ。だんだんと舞が激しさを増し、神々について語り終わったとき、
 「神はおあがりになりました」
 そう巫女は言った。もう神懸りして狂った様子はない。その役を終えた巫女は、本来の様子に戻ったのであった。

<八期生 Y.K>



仕舞・鞍馬天狗


 春、鞍馬寺の修行僧と稚児一行が鞍馬山に花見に来ていました。すると花見をしている場に一人の山伏がやってきます。よそ者がやってきたため、興醒めだと鞍馬寺の一行は帰ってしまいました。ですが皆が帰っていく中で、稚児が一人残っていました。山伏が名前を聞くと、稚児は源義朝の子、牛若丸と名乗ります。

 平氏の全盛期であるこの当時、寺の稚児の中でも平氏の縁者の者が幅を利かせていました。源氏の者ということでいじめられていた牛若丸は、置いて行かれてしまったのです。

 平氏の稚児にいじめられる境遇に同情した山伏は、自分の正体が天狗であることを明かします。そして牛若丸に平家討伐のための兵法を授けることを約束し、明日もこの場所で待っているようにといいます。

 修業の後、兵法の極意を授けると、いつでも牛若丸を影より見守り、戦では側にいて力を貸すことを約束して天狗は山へ去ろうとします。引きとめようと牛若丸は袖を掴みます。しかし天狗は心を鬼にして振り払い、山へと去っていきました。

 今回は仕舞なので、修行後の牛若丸と天狗の別れの場面となります。

<十期生 R.I>



素謡・吉野天人


 むかしむかし、毎年春になるとあちらこちらに花見に行く都の人がいました。ある年の三月初春の頃、今度は仲間の人たちと共に、桜を見るために吉野の山の奥へと赴きました。

 山は一面の花盛りでした。さらに美しい桜を求めて奥深く分け入ると、都でも類まれな気品ある女性が一人、桜を眺めていました。都の人はぜひ吉野の花のことを聞いてみたいと思い、初めてこの山に登ってきた事を話しました。女性は、この辺りに住んでいる土地の者であり、一日中花を友達のように思いながら野山で暮らしているのだと言いました。女性と一行は同じく花を愛でる心を持っているのを喜びます。そうして一緒に話をしているうち打ち解けて、共に吉野の山の見事な花の景色を楽しみました。

 ですが女性がいつまでたっても帰る素振りを見せず、あたかも家に帰ることすら忘れているように花に見入っているのを不思議に思います。そのことを女性に尋ねてみると…。女性は、
 「実は私の正体は天人であり、吉野の山に咲き乱れる花の美しさに惹かれてここへと降りて来たのです」
 と語りました。そして都の人たち一行に、私の言うことを信じてここで待っているなら、五節(ごせち)の舞を見せてあげましょうと言い残し何処かへと姿を消しました。

 そうして日が暮れ、都の人々は女性の言葉を信じて言われた通りに待っていました。すると何処からとも無く音楽が聞こえ出し霊妙な香りが辺りを包み込み、桜の花びらが天からヒラヒラと降って来ました。そして数人の天人が虚空より姿を現しました。天人たちは琴や琵琶の音色に合わせ、軽やかに袖を翻しながら花に戯れ華麗に舞います。やがて五節の舞を舞い終えると、天女たちは花のような雲に乗って再び一行の前から消え失せるのでした。

 さて作中に登場する五節の舞ですが、この舞は天武天皇が吉野宮へ行幸し、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れ、降りてきて「乙女ども、乙女さびすも、から玉を袂にまきて、乙女さびすも」と詠じて袖を五度翻して舞ったとの故事が起源とされます。別名五節田楽ともいい、農耕の繁栄を祈る地方芸能が根底にあると考えられますが、朝廷の年中行事となったことが確認されるのは嵯峨天皇の弘仁五年(八一四)です。都の人々の見た天女の舞う五節の舞はさぞかし美しかったのでしょうね。

<十期生 R.I>



素謡・船弁慶


  今年の大河ドラマは『義経』です。なので、流行にのってみました。(半分本当です。)

 義経は西国で武勲をたてたにも関わらず、心無い者の讒言によって、兄・頼朝から不審を買ってしまいます。頼朝の疑いを解くため、忠臣である武蔵坊弁慶と、家臣十数名、そして愛妾の静御前らと共に、都を落ちていきます。
 尼崎・大物の浦に着いたとき、弁慶が提案します。静はこのような場にはふさわしくない、都へ帰してはどうか、と。義経もその案に同意します。静は弁慶から話を聞きますが、信じられず、義経に直接会いに行きます。
 義経の口から直接、都に帰った方がいい、と聞かされた静は泣く泣く、別れを決意します。そして、請われるままに烏帽子を身につけ、義経の門出の幸運を祈り、舞ったのです。
 見るも哀れに嘆き悲しむ静を置いて、急いで舟を出そうとします。しかし、波風が荒いため、出航を取り止めるように、と義経からの仰せがありました。静との名残が惜しいためにそのようなことを言い出されたのだろう、と弁慶は解釈し、強行に舟を出発させます。
 ところがしばらくたつと、風が変わり、嵐になります。このままでは陸地に着くことができません。
そのとき、従者の一人が弁慶に言います。
 「この舟には妖怪が憑いております。」
 「舟の中でそのような不吉なことを言うものではない!」
 弁慶は従者に向かって怒鳴りますが、時すでに遅し。その言葉につられるかのように、西国で戦に敗れた平家の悪霊が次々と海の上に浮かび上がってきます。
驚く弁慶に対し、義経は落ち着いたもの。悪霊となり、いまさら恨みを晴らそうとしても何もできるはずがないのが理です。
 平家の武将・知盛が長刀をかざし、襲いかかってきます。自らが西海で沈んだときのように、義経をも海に沈めてしまおうと言うのです。しかし義経は少しも動じません。生きている人間に向かうかのように、刀を抜いて応戦します。
 そうは言っても相手は悪霊。刀で敵うはずがないではありませんか。そう判断した弁慶は、必死で数珠を揉み、悪魔降伏のための経を唱えます。
 経が効いたのか、知盛は次第に遠ざかっていきます。その隙に舟を漕ぎ出しますが、なおも悪霊は追ってきます。義経一行と知盛は一進一退を繰り返していましたが、祈り伏せられ、いつしか怨霊は追い払われて、あとには白波が打ち寄せるばかりとなりました。

<九期生 K.O>



仕舞・清経キリ


 平清経は平氏の武将です。源氏との戦のため、西国へと赴いていました。
 都では、清経の妻が夫の帰りを待っていました。しかし、帰ってきたのは夫の遺髪だけ。遺髪を持ってきた夫の家臣は、清経が追っ手から逃げ落ちる道中、舟の上から身を投げたことを伝えます。
 戦死や病死なら、まだ諦めもつくものの、自殺など。悲しみにくれる妻の元に、夜半、夫の清経が姿を現します。夢か現か判然としないけれど、再び出会えたことは喜ばしい。けれど、自分一人をおいて逝ってしまったことを妻は嘆きます。夫は夫で、妻のために遺した遺髪を受け取らなかったことを責めます。
 互いに非難し合っても悲しいだけ。清経は、妻を慰めるため、これまでのことを語ります。
 戦に敗れて逃げ落ちたこと、宇佐八幡の神にも見放されたこと、行く末に絶望して身を投げたこと。そして、死後のことにまで話はおよびます。
 死後は修羅道に堕ちました。そこはあらゆるものが武器となり、敵となり、際限なく戦い続けなければならないところです。生前に戦をした因果により、このように苦しみましたが、身を投げる直前に唱えた念仏によって救われ、今は成仏することができたのです。ありがたい。
 そういって、清経は姿を消したのです。

<九期生 K.O>



仕舞・胡蝶


 冬を過ごすことの出来ない蝶の夢は梅の花と戯れること。ある旅僧が京都一条大宮に咲く見事な梅の花を眺めていると、女が通りかかります。女はこの梅や場所について語り、自分は胡蝶の精であると明かします。生涯、花と戯れる胡蝶。しかし冬を越す事が出来ないために梅の花とだけは縁がなく、春が来るたび悲しみが募る。尊いお経の功徳で成仏し梅と戯れる望みを叶えたい。そう言って女は読経を頼み、僧の夢の中に現れることを約束すると姿を消します。
 日も暮れる頃、僧が約束どおり読経をし、梅の木の下に臥していると美しい蝶が現れます。成仏した胡蝶の精がでした。念願だった梅の花と戯れる胡蝶の精。
 四季折々の花盛りには花をつけた梢が気にかかります。一条大宮から標野(しめの)内野までは程近く、蝶は春風を操って飛ぶのです。花の前で美しく舞う蝶。翻す羽の動きは空に舞う粉雪のよう。いくら見ても飽きのこない素晴らしさです。春夏秋が過ぎ花も尽きる頃、霜を帯びて折り残された白菊の花の枝の周りを飛び、また小車の花の周りを廻ります。経に導かれて仏になった胡蝶の精。彼女自身もまた歌舞の菩薩となって舞うのです。そして春の夜が明ける頃、朝の光に染まる雲に羽を重ね、霞にまぎれてその姿は消えていきました。

<九期生 S.T>



仕舞・天鼓


 天鼓。それは天から降ってきた鼓。そして鼓に愛された少年の名前。
 天鼓少年が生まれた時に天から降ってきたという鼓「天鼓」は、少年が打つと、大変素晴らしい音で鳴った。それを欲しがった皇帝は、少年に鼓を差し出すよう命じた。しかし、少年は皇帝の命に反するとしても、天鼓を渡したくはなかった。そして天鼓を持ち、山奥へと隠れた。
 しかし皇帝はその少年を見つけ出し、天鼓を奪って少年を呂水に沈めてしまった。皇帝は奪った天鼓を鳴らそうとするが、誰が打っても音を出すことが出来ない。仕方なく皇帝は、肉親なら何とかなるかもしれないと、少年の父親を呼び、天鼓を打たせた。するとどうだろう。天鼓はあの美しい音で鳴った。その音に心を動かされ、心を改めた皇帝は、少年を沈めた呂水のほとりに天鼓を置き、天鼓少年を弔った。
 夜。弔いの管弦に誘われて、少年の霊は現れた。大好きな天鼓と再び会えた。嬉しさのあまり、鼓と同じ名を持つ少年は舞い踊り、鼓を打つ。なんと面白いことだろう。
 さて夜が明けてきた。鶏も鳴いている。少年は時の鼓を六つ打つ。そして夢幻であったかのように消えていくのであった。

<八期生 Y.K>



仕舞・花月キリ


 花月はほんの七歳の時、あまりにも可愛かったからなのか、天狗にさらわれてしまった。
 以来、彼は天狗に連れられて日本中の山々を巡った。しかしある日、京都の音羽山に置いていかれてしまった。その日から花月は清水寺の門前で歌舞音曲などの芸をして暮らしている。
 一方花月の父は僧となり、行方不明になった息子を探していた。そして父はある春の日、清水寺にたどり着いた。そこで彼が目にしたのは探し続けた息子の姿。花月も父との再会を喜び、二人で仏道修行の旅へと出るのであった。
 このキリは花月が天狗と共に山を巡ったことを回想しているところである。

 まず最初は九州の英彦山。次は四国・讃岐の松山、白峰山。その次は伯耆の大山。そして鬼のいる大江山。そこに住む鬼は天狗よりも恐ろしい。京に近いところは愛宕山、ここは太郎坊天狗がいる。比良山には次郎坊天狗。有名な比叡山。そして大和の葛城山、高間山、山上ヶ岳、大峯山、釈迦ヶ岳をへて富士山へ。雲の中で起き臥すこともあったなぁ。こんなふうに山々、峰々、里々を巡り巡って、やっとお父さんに会えた。本当に嬉しいなぁ。さあ、今まで芸に使っていた簓(竹で作った楽器)を捨てて、二人で一緒に仏道修行に出よう。ああ、嬉しいなぁ。

<八期生 M.I>



仕舞・紅葉狩


 信州国信濃の山中で、一人の女房(この場合身分の高い女性)が侍女と共に紅葉狩りの酒宴を催していました。そこに偶然鹿狩りに来ていた平維茂の一行が通りかかります。

 維茂は侍女に女房の名を問いますが、侍女はたださる御方と答えるのみです。維茂は女房らを不審に思いながらも、道を替え酒宴の邪魔をしないように通り過ぎようとします。

 すると女房は立ち去ろうとする維茂を呼び止め、酒宴に誘い酒を勧めます。女房と打ち解けた維茂は次々に杯を重ねました。やがてすっかり酔いの回ってしまった維茂は、女房が舞を披露している間に眠り込んでしまいます。
 維茂が完全に眠り込んだのを見届けると女房の様子が変わり、辺りは嵐となって彼女らは山中へと姿を消します。

 さて、眠り込んでしまった維茂は不思議な夢を見ました。夢の中には、岩清水八幡宮の末社竹内神が現れました。神様は維茂に女房の正体が鬼であることを教え、太刀を授けます。

 やがて目を覚ました維茂に鬼の本性を現した女房が襲い掛かります。しかし神様から正体を聞かされていた彼は少しも騒ぎません。八幡大菩薩を心に念じ、授かった太刀を抜いて鬼に立ち向かい、見事これを打ち倒すのでした。

<十期生 R.I>



おわり。