■第四回 湖風祭公演 「謡って舞って六十分」■
平成十年十一月八日(日) 十四時半始
連吟 橋弁慶 仕舞 鶴亀 清経キリ 胡蝶 菊慈童 玄象 連吟 吉野天人 仕舞 嵐山 花月クセ 羽衣キリ 紅葉狩クセ 鞍馬天狗 猩々 連吟 竹生島 仕舞 高砂 田村キリ 杜若キリ 小袖曽我 大江山 小鍛冶キリ 附祝言 終了予定 十五時半頃
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仕舞・鶴亀 主人公は玄宗皇帝。なかなかの政治家であったが、楊貴妃の夫としての方が有名かもしれない。舞台は月宮殿。皇帝の権力の大きさがよく分かる、豪華なつくりである。年の初めの祝宴に一億人以上が集まっている。毎年のこととなっているおめでたい舞をするために鶴と亀もいる。さあ、皇帝陛下の長寿を祝っての舞の始まりだ。大喜びの皇帝は自分も舞うことに。めでためでたで終わる、晴れ晴れとしたお話だ。 ところでこの時玄宗皇帝は楊貴妃と出会っていたのだろうか?長寿を祝っているのだから、そこそこの年のはずだし、出会っていたのかもしれない。もしそうなら彼女も一緒に舞えば…良くないか。
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仕舞・清経キリ 能の演目の中には平家一門の武将たちを扱ったものが多くありますが、<清経>もその一つ。でも彼――平清経は他の武将とちょっと違います。彼は源家に討たれたのではなく、入水自殺を図ったのです。戦を嫌って。 そんな彼の形見の髪を、彼の妻は受け取りませんでした。病死でも、戦死でもなく、ましてまだ一門がどうなるとも分からぬのに自殺するなど……。泣き崩れる妻の前に清経の霊が静かに現れます。 清経は平家の行く末を思って心ゆくまで笛を吹き、今様をうたい、入水した様を、戦の非情さを、そしてあの世の修羅道の苦しみを語り、舞います。それでも最期に唱えた十念のおかげで仏果が得られた(成仏できた)のだ、と伝えて消え失せます。 仕舞はこの最後の場面の清経です。彼の悲しみと思い……伝わりましたか?
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仕舞・胡蝶 旅の僧が都見物にやって来た。梅の花が満開の季節である。一条大宮に咲く梅の美しさに見とれていると、どこからともなく女性が現れる。彼女はその梅のいわれを語り、やがて自分の正体を明かす。彼女は人間ではなく、胡蝶の精であったのだ。美しい花々とたわむれ、梢に遊ぶ胡蝶。しかしまだ寒い時期、他の花に先がけて咲く梅の花とだけは縁が結べない。それだけが心残りで成仏できなかったのだ。やがて彼女は姿を消す。僧は梅の花の下でお経を唱え、うたた寝していると再び彼女が現れる。仏果により彼女は念願の梅とも舞い遊ぶ身となり、その喜びを謡い、舞う。喜びのうちに彼女は明けてゆく雲のなか、霞にまぎれて消えうせるのだった。 学長の動物行動学では、もんしろちょうの女の子は花が大好きだけど、男の子は花より女の子の方が好きで、女の子を追いかけるのに夢中だそうだ。梅の花を恋しく思う胡蝶の精は、とても女の子らしいと言えようか。
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仕舞・菊慈童 七百年生き続けている美少年のお話。少年はその昔、周の穆王に仕えていた。しかし、うっかり王の枕をまたいでしまい、深い山の中へ流罪に。少年は人里離れ、菊に埋もれて暮らすことになる。それをあわれんだ王は、少年にお経を書いた枕を与えた。そのお経を写した菊の葉の上に落ちた露が不老不死の薬となったのだ。少年はその露を飲んだのだろう。美少年のまま、魏の文帝の時代になっても生き続けていた。帝の命により薬の泉の源を捜しに来た臣下と出会った少年は、初めて自らの不老不死とその原因を知った。そして喜びの舞を舞い、今は亡き穆王に感謝し、お酒でもあるその薬を臣下にふるまった。そうして七百歳の長命を文帝に授けた少年は、菊をかき分けて帰っていったのだった。 不老不死には、求めるけど手に入らないか、手に入れても幸せになれないイメージがあるけど、このお話の少年は幸せそうである。
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仕舞・玄象 昔々、藤原師長という琵琶のたいそう上手な人がいました。彼はさらに力量を上げるべく、唐へ渡ることを決心します。旅の途中、須磨で一泊しようと浜で会った老夫婦に宿を借ります。その夜、老夫婦に依頼され、師長は琵琶を弾きます。そこへ突然の雨。屋根を打つその雨音に、琵琶の音も台無しにされます。ところが老夫婦は屋根の上に苫敷いて雨音と琵琶の音を調和させるという粋なはからいをします。驚いた師長は逆に演奏を依頼します。その素晴らしいこと! 師長は自らの驕りを知り、唐へ渡ることをあきらめます。老夫婦に名前を尋ねると、なんと名器“玄象”の主、村上天皇と梨壺の女御だと言い、消え去ります。やがて現れた村上天皇は、名器“獅子丸”を師長に渡し、共に演奏します。秘曲を授けた天皇は竜に引かれた車に乗り、師長は馬に乗ってそれぞれ帰っていくのでした。 今回演じるのは最後の部分のみです。短いですのでご注意あれ。
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連吟・吉野天人 季節は春。場所は吉野。都の人々が花見に興じていると、一人の美しい女の人が現れます。聞けばこの辺に住んでいて、桜を見に来たのだと彼女は答えますが、この人、どうも怪しい。いつまでたっても帰らない。不審に思った都の人々は彼女に言葉をかけます。すると彼女は、自分は実は天女で、桜の花に 連吟は、実は天女の里女と都の人々がそろって花見を楽しんでいる場面です。桜…ものすごい季節外ですな。ま、今この時は春なのよってことで。
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仕舞・嵐山 花盛りの嵐山を堪能しにやって来た勅使の一行。彼らは花守の老夫婦から、嵐山の桜のいわれを聞きます。……嵐山の桜は吉野山の桜を移植したもので、かの地の子守・勝手の二神が時々通ってくださることなどなど。やがて老夫婦は、自分たちこそが子守・勝手の両神であると明かし、「夜まで待ちなさい」と言い残して去ります。そして夜、二人の神様は桜の枝を手に典雅な舞を披露してくれます。その舞に引かれたのか、蔵王権現さまも豪快に出現し、怖いお顔ながら民の苦しみを和らげ、煩悩を除こうとの誓いも頼もしく、嵐山の桜に戯れ、はつらつとした神遊びの様を見せて栄えゆく春を祝賀なさいます。 仕舞は、この蔵王権現さまの舞です。勇ましく豪快な舞をお楽しみ下さい。
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仕舞・花月クセ 少年は七歳の時天狗にさらわれた。父はそれを嘆き、出家し、行く当てもない旅に出る。ある日、都の寺を訪れると、寺の名物である侍童を紹介される。侍童は歌い、桜の花を散らす乱暴なウグイスを弓で射るふりをする。続いては観音様をたたえる舞。父は侍童の芸に見惚れるうち、彼が自分の息子だと気づく。さらに侍童は鼓を打ちながら、天狗に連れられて過ごした歳月を舞う。辛く寂しい日々も今日で終わり。二人は再会を心から喜び、手に手を取って旅立つのだった。 本名は幼くて覚えていなかったのか、天狗は名前をつけてくれなかった、花月とは少年が自ら付けた名前。春の“花”と常住の心理である“月”から取ったらしい。
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仕舞・羽衣キリ 漁師の白竜はある日、松の木にかかった美しい羽衣を見つけた。彼がそれを家宝にするべく持ち帰ろうとすると、呼び止める声が聞こえる。羽衣の持ち主、天女の声である。彼女は羽衣を返すように頼むが、白竜は聞き入れない。このままでは天に帰れない。悲しみに浸る天女を見て、白竜も少し心を動かされる。そして名高い天女の舞を見せてくれるのなら、その後、羽衣を返してもいいと言う。先に返せばとんずらされると思っているのだ。「いえ、人間と違って、天人は嘘をつきません」と天女。その言葉に圧倒され羽衣は返される。天女はそれを身につけ、約束通り美々しい舞を披露する。見惚れる白竜を残し、天女は霞にまぎれて消え失せるのだった。 ひたすら美しく純真可憐な天女。嘘を決してつかないという所が人間外生物……いやいや人間もかくあるべきなんだろうけど。
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仕舞・紅葉狩クセ 紅葉狩――いいですね。皆さんも行かれてはいかがでしょう。お友達を誘って。…ただし、知らない美女には決してついていかないように。 本来鹿狩りにやってきた平 仕舞は維茂さんをたぶらかした《美女》が彼の前で優雅に舞ってみせているところですが、正体が鬼だと思うとうしろ寒いものを感じ…かも知れない。
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仕舞・鞍馬天狗 桜が満開になりました。山伏も鞍馬山にお花見に出かけます。そこに鞍馬寺の僧が数人の稚児を連れて来ますが、無法者の山伏と同席したくない、と帰ってしまいます。皆で楽しむはずの花見に来たのに差別されて、山伏はがっかり。ところが先ほどの稚児の一人が帰らずに残っていました。一人での花見は味気無いだろうとの心遣いからです。優しい子ですね。山伏が名を尋ねると稚児は源義朝の子、牛若丸であることを告げます。時は平氏の最盛期。源氏の牛若丸は平氏の稚児にいじめられ、つらい日々を送っています。同情した山伏は、自分は鞍馬山の大天狗だと明かします。 翌日、大天狗は牛若丸に秘伝の兵法を授け、おごれる平氏を滅ぼす戦に勝てるよう、守護することを約束します。そうして鞍馬山の梢に翔って消え失せるのでした。 牛若丸を守護する大天狗、とくと御覧あれ。
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仕舞・猩々 猩々とは、お酒の大好きな、少年の格好をした妖精のことです。 そんな猩々には人間のお友達がいました。名前は高風。かれは大変な親孝行者で、神様がご褒美を下さったのか、不思議な夢を見、その通りに市場で酒を売ったところ、お金持ちになったという人です。今日は高風が猩々に菊花の酒を持ってきてくれました。猩々はお友達が会いに来てくれ、しかもお酒もあるとあって大喜びで姿を現します。ちょっと酒が入っていい気分の猩々はのびやかに舞い始めました。…やがてかれは汲んでも尽きることのない酒壺を高風に与えて消えていったのでした。この酒壺には不老長寿の薬酒が入っており、<猩々>はめでたい演目とされているのです。 というわけで、仕舞は猩々が気分よく舞っています。邪魔しないであげてね。
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連吟・竹生島 みなさんもご存知、あの竹生島が舞台となっているストーリー。小琵琶湖にも浮かんでいますね。 あるうららかな春の日、湖の漁師のおじいちゃんと、海女のお姉ちゃんが舟に乗り、今日も仕事に励んでいる。そこに天皇に仕える都人が竹生島参詣の為にやって来る。都人は頼んで舟に乗せてもらい、楽しい旅が始まる。琵琶湖と、それを取り巻く景色を観賞しつつ(私たちが謡うのはこの部分)、やがて竹生島に到着。あれ、この島は女人禁制だと聞いていたのにお姉ちゃんも島に入るのかい? と疑問に思う都人。いやいやこの島の弁才天様は女性でいらっしゃるし、女性も分け隔てなく成仏させてくださる。女人禁制だなんてお固いことは言いっこなし。都人も納得したところで、おじいちゃん、お姉ちゃんは本当の姿を現す。二人は琵琶湖の主である龍神と、前述の弁才天だったのだ。その力強さ、美しさ、神々しさで都人を圧倒し、二人は自分たちの住まいへと帰っていく。――最高の竹生島参詣になりましたとさ。
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仕舞・高砂 めでたい演目です。「高砂やこの浦舟に帆を上げて…」はよく結婚式でも耳にします。でもどんなに耳を澄ましても、この部分は謡っていないのであしからず。 高砂・住江の二つの松は離れた土地にあるのになぜ
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仕舞・田村キリ とある僧が清水寺に行き、その見事な桜に見とれていると、不思議な童子が姿を見せます。僧にこわれるまま、童子は清水寺が坂上田村麻呂の御願により創立されたものであると語り、さらにこの辺りの名所を教えてくれます。僧が童子の素性を尋ねると、童子は地守権現の坂上の田村堂に入ってゆくではありませんか。 やがて坂上田村麻呂の霊が武将姿で現れ、伊勢の鈴鹿山の鬼神退治の折、千手観音の力で大勝利を収めたその霊験譚を勇ましく語ってくれます。仕舞の主人公は、この坂上田村麻呂さんです。 能の演目の中では、<清経>のように悲しい末路をたどった武将の方が多く描かれているのですが、この<田村>は快勝しております。気分爽快ですね。
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仕舞・杜若キリ 旅の僧がそこに咲き誇る杜若の花に見とれていると、彼の前に杜若の精が現れます。 かきつばた きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ 在原業平のこの歌に詠まれた誇らしさを彼女は語り、業平は実は極楽の歌舞の菩薩さまであり、詠む和歌は 季節外れの杜若の花の香りが匂ってくるようですね(うっとり)。
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仕舞・小袖曽我 仇討ちの話である。命をかけた兄弟。子を失う悲しみに耐えられる親がいようか、母は弟の五郎を勘当する(勘当されていると仇討ちができないようだ)。兄弟は勘当を解くべく、母のもとを訪れる。兄の十郎は勘当されていないので、まず兄一人で母と会う。再会を喜び、親しげに話す母と兄。弟は一人孤独を感じる。兄に促されて母に会おうとするが拒絶される。打ちひしがれる弟。兄は弟をかばい、二人の仇討ちへの意志を語る。その熱意を理解し、ついに母は勘当を解く。 永遠の別れとなるかもしれない。二人の門出のために宴が開かれる。兄弟は母から送られた小袖を見につけ、舞う(今回舞うのはこの部分。一人舞ですが)。やがて二人は仇討ちに旅立って行くのだった。
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仕舞・大江山 大江山には酒呑童子という鬼神が住んでいます。それを退治しに源頼光さんの一行がやってきました。鬼の召使である女の人にとりなしてもらい、彼らは鬼の家に入ることに成功します。彼らを迎えたのは、童子の姿をした、実におちゃめな鬼さんでした。鬼は、山伏の格好をした頼光の一行を少しも疑わず、酒を汲んでは与え、お客を精一杯もてなします。 「さてお肴は何々ぞ」――酒の肴は何がいいかなあ、で『大江山』のこの仕舞は始まります。ご機嫌で自らも飲んでは舞ってみせて、とうとう自分の寝床で本来の鬼の姿に戻って眠ってしまいます(仕舞はここまでです)。 そうして、これぞ好機と頼光らは鬼を襲撃します。だまされたと怒った鬼も反撃しますが結局討たれてしまうのです。 ふつう鬼は悪者なのですが、何となく憎めない愛嬌たっぷりの鬼さんなのでした。
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仕舞・小鍛冶キリ 宗近さんは困っていました。なぜって帝の不思議な夢によって、剣を打つように命じられたというのに共に打つ相手(相槌)がいないのです。仕方なく宗近さんは稲荷明神にお参りに行きました。そこへ一人の童子が現れます。彼は、宗近さんを大いに励まし、準備をして待っているように言って稲荷山へと消えていきました。 さて、言われた通りに待っていると、何と現れたのは稲荷明神! 神様と作り上げた剣《小狐丸》は果たして名剣となり、剣を勅使に捧げると、稲荷明神は雲に乗って稲荷の峰へと帰っていきましたとさ。 仕舞はこの最後の部分です。能ではキツネのついた冠をつける稲荷明神さまは、本当にキツネのごとく舞台を飛びまわります。…けっこうお腹が空くそうです(演者談)。
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附祝言・岩船 金銀珠玉は降り満ちて 山の如く 津守の浦に 君を守りの 神は千代まで 栄うる御代とぞなりにける これが謡っている部分です。一体どこにお宝が届いたのか――日本です。 ときの日本の国政にいたく満足した天の神様が、天にある城の宝を でも今の日本じゃあ宝物なんてもらえそうにないですね。天の神様がたもあきれてらっしゃるかな。
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