■第九回 湖風祭公演 「第九 よろこびの謡」■
平成十五年十一月九日(日)十二時半始
第九 よろこびの謡 連吟 竹生島 仕舞 敦盛クセ 吉野天人 花月クセ 連吟 橋弁慶 仕舞 清経キリ 班女クセ 邯鄲 鞍馬天狗 仕舞 土蜘蛛 舞囃子 高砂 終了予定 十三時半頃
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仕舞・敦盛クセ 平敦盛は笛の名手でした。 一ノ谷の合戦の際、笛を取りに戻っていたため船に乗り遅れ、源氏側の武者、熊谷直実に打たれてしまいます。手にかける直前、直実は相手がまだ十六、七歳の少年であることに気付きますが、後方からは源氏の軍が迫ってきています。このままではどの道逃がすことは出来ません。意を決して敦盛を討った後、彼が身に着けていた笛を見つけ、戦場に笛を持ってくる風流さに胸を打たれます。その後、直実は世に無常を感じて、蓮生と名を変え、僧になります。 これが『平家物語』での一節です。有名なので、知っている人も多いのではないでしょうか。けれど、謡曲の話はこの後からです。 敦盛の菩提を弔うため、一ノ谷に出向いた僧、蓮生。途中、草刈の青年たちの一人が笛を吹いてるのを聞き、言葉を交わします。自らが手にかけた、あの風流な青年を思い出したからです。日も暮れ、青年たちは帰っていきますが、一人だけ、残った者がいました。 「あなたが毎日弔っているのは僕なのです」 そう言い残し、彼はかき消すように姿を消しました。 深夜、蓮生の前に生前のままの、華やかな姿の敦盛が現れます。現世での因果を晴らすためにここに来たのだと言い、平家が栄華の極みから一転、都落ちして一族ばらばらになっていった様を謡い、舞います。 現世では敵だったが、今は仏道での友。弔ってくれたことを感謝し、敦盛は成仏していくのでした。
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仕舞・吉野天人 今、吉野山は桜が満開です。峰も尾上も花、花、花……。ほら、都人たちが桜を見にやってきましたよ。都人は山の奥ヘ奥へと分け入ります。あ、先客がいました。身分の高そうな格好をした女の方。この近所に住んでらっしゃるんですって。仲良く花を眺める一行。花の下で出会うのも前世からの縁。美しい桜に心も和みます。心も和みます。心も和みます。和みます。和みます……が、ちょっと長すぎやしませんか? 都人も同じことを思ったよう。 「家に帰るのも忘れてずっと桜を眺めてらっしゃる。なんだか不思議な感じがいたしますが……」 「ばれてしまいましたか。実は私、天人なのです。」 この天人さんも吉野の美しい桜に魅せられていらしたのですって。天人の舞をお見せしますからちょっとここで待っていてくださいね。そういって天人さんは消えてしまいます。しばらくするとどこからか美しい音楽が響き、花が振りかかります。そして雲の上にたくさんの天人が現れ、花と戯れて舞うのでした。 今回の仕舞は天人が桜と戯れて舞う場面です。その様子は本当に綺麗だったんでしょうね。
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仕舞・花月クセ 悲劇は突然起こりました。一人の男の子が天狗にさらわれてしまったのです。男の子のお父さんは、これは俗世を捨てる機縁だと出家をしました。 それから何年もの月日が流れました。修行を重ねたお父さん、今はもうなかなか立派なお坊さんぶり。京の都に来たついでに清水寺を訪ねます。聞いた話では花月という少年が、大変上手に曲舞(くせまい)を舞うのだとか。それなら一つ見物してみましょう。 「清水寺は坂上田村麻呂が創建したんだ。ほら今でも音羽山から清浄な清水が流れ続けている。あの水が五色に輝いたことがあってね、不思議に思って源泉を辿ったら楊柳観音様の仮の姿である柳の朽木があったのさ。みんなありがたく思って手を合わせた。そして更に奇特をみせてくださいとお願いすると枯れていたはずの柳が青々と葉をつけ、周りの木という木がそれこそ老い木にいたるまでみんな白い花をつけた。だからこのお寺の千手観音様の誓願として枯れた木にも花が咲くというものが伝わってるんだよ」 そう歌って舞う花月君。確かに見事です。でもお父さんの関心は別のところにあるよう。というのも花月君こそ天狗にさらわれた我が子だったからです。お父さんが名乗りをあげ、かくして親子の感動の再会が実現するのでした。花月君はお父さんに会えたことを大変喜び、仏道に入って共に修行することに決めるのです。 今回の仕舞は清水寺の由来を語っている部分です。花月君の見事な曲舞、とくと御覧あれ!
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連吟・橋弁慶 弁慶と牛若丸が京の五条の橋の上で戦った話はご存知ですよね? 弁慶が橋で刀狩をしているときに、千人目として通りかかったのが牛若丸です。襲いかかる弁慶を尻目に、牛若はひらりひらりと身をかわし、ついには弁慶を降参させてしまいます。 さて、以上が一般に知られている話ですが、この話では立場が逆転します! と言っても牛若丸が負けるんじゃあありません。主人公は弁慶です。弁慶が、橋で人を襲っている牛若丸を退治しに行くのです。結局は負けて牛若丸の家来になるんですけど。 正義が負ける、じゃなくて、小さな子供が屈強な大人を倒す。そのあたりにこの話の面白さがあるんでしょうね。 連吟は、牛若丸が橋の上で通りかかる人を待っているシーンです。 このとき、牛若丸は十二、三歳。天狗に稽古をつけてもらった後だと考えられます(『鞍馬天狗』の解説参照)。弁慶が歯が立たなかったのもうなずけます。
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仕舞・清経キリ 平清経の妻は夫が自殺したと聞いて大変悲しみます。病や戦死ならまだ諦めがついたものを。身投げする時は共に、という約束を違えたと恨みごとを言う妻の夢枕に清経の霊が立ちます。そして自殺した理由を話し出すのでした。神様に平氏には未来がないといわれたこと。敵に追われ、怯える心持。葉武者の手にかかるよりはこの世もどうせ仮の住まい、旅の途中だ。未練を残すな、と念仏を唱えて清経は海に身を投げたのです。その話を聞いて涙する妻を励ますように続ける清経の霊。 「私の落ちた修羅道という地獄はとても辛い所だ。周りは敵だらけで、雨は矢、土は剣、山は鉄の城でできている。あらゆる感情も乱れて敵となり、討ったり退いたりを繰り返す。だがその苦しみもこれまでだ。最期に唱えた念仏のおかげで私も成仏できるのだ。ありがたい……」 今回の仕舞は清経の修羅道での様子から成仏に至るまでを話す場面です。死んでもなお妻を気遺う清経はとても心優しい人だったんですね。
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仕舞・班女クセ 岐阜県にある野上という宿屋で遊女が宿の主人に怒られています。というのもその遊女が客をとらなくなってしまったから。事の起こりは春。遊女 「交換した扇に触れ、いつも貴方を想っています。約束の秋を過ぎても来ぬことを恨むわけではありません。ただ寂しくて」 吉田少将は、身の上を語る女が野上で出会った花子であるということに気付きます。二人は交換した扇を見せ合って相手を確認し、夫婦となるのでした。 今回の仕舞は少将が花子に気付くきっかけとなる身の上話の部分です。少将を想い続けた花子。幸せになれると良いですね。
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仕舞・邯鄲 まず邯鄲とは? 答えは中国のとある地名です。そこで何があったのかと言うと……。 ある日「人生とは何ぞや?」と悩める青年的なことを思ってしまったこのお話の主人公、盧生さんはその答えを求めて旅に出ました。そんな彼がある日宿をとったのが邯鄲。旅の疲れを癒すため、寝ようとしたらこの宿にある不思議な枕を借してもらえました。寝ている間に宿の人は粟御飯を作ってくれるそうです。ところがすぐに枕をトントン叩かれて起こされてしまいます。起き上がると都からの勅使がいて、なんと盧生さんに王位が譲られたというのです! そんなわけで棚ボタラッキーな盧生さんは都に行って幸せに暮らしましたとさ。しかし! ここで「めでたしめでたし」とはいかなかったのです。 王様として五十年もの月日が流れ去っていたある日、盧生さんはハッと日が覚めます。何が起きたのかと辺りを見回すと五十年前の宿屋じゃないですか。粟御飯を炊き上げた主人が起こしに来てくれたのです。そう、なんとこの五十年のことは全てが夢の中での出来事だったのです。そこで盧生さんは「五十年もの時間が実際には粟御飯が出来上がるまでの時間だったのか……人生イコール夢のようなものなのか」と悟って故郷に帰って行ったのでした。 ま、でもこれはあくまで盧生さんの結論ですので皆さんは自分で自分の答えを探しちゃってくださいね。ん、今オレいいこと言った。
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仕舞・鞍馬天狗 鞍馬山の大天狗と、牛若丸、のちの源義経との出会いと別れの曲である。 これ以上ないほど満開の桜が咲く夜だった。鞍馬寺の僧と稚児たちが鞍馬山に花見に来ていた。そこに一人の山伏が訪れる。興ざめだと言わんばかりに帰っていく寺の面々。だが稚児の一人がその場に残る。花見は一人では寂しいだろうから、と。聞くと、その子も平氏が多い寺の中で肩身が狭いらしい。孤独な者同士の心が通った瞬間だった。別れ際になり、山伏は自分の正体を明かす。彼は鞍馬山の大天狗なのだ。明日、この場で待っていれば平氏を倒すための兵法を授けよう。天狗は稚児が牛若丸であることを知っていたのだ。 天狗に稽古をつけてもらう。さすがは清和源氏の一族。めきめきと力をつけていく。もはや教えることもない。去ろうとする天狗の袂にすがる牛若丸。心を鬼にしてそれを振り切ると、鞍馬天狗は姿を消した。牛若丸が平家を滅ぼすという予言と、自分はいつも影から見守っているという約束を残して……。
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仕舞・土蜘蛛 源頼光は病で寝込んでいて、気も弱っている。絶好の機会だ。今こそその命、頂こう。 「頼光、気分はどうだ。」 「このような夜更けに見知らぬ僧侶が訪ねてくるとは。何奴だ。」 「愚かなことを。いいさ、教えてやろう」 我が背子が来べき宵なりささがにの 蜘蛛のふるまひかねて著しも 言うが早いか、僧は七尺ばかりもある大蜘蛛に姿を変えた。蜘蛛の糸を投げかけるが、頼光もさるもの、枕元の太刀で応戦してくる。しまった、油断した。思わぬ深手を負った。いったん出直しだ……。 土蜘蛛が上の句、頼光が下の句を続けたこの和歌の『ささがに』は蜘蛛の別名であり、蜘蛛を導く枕詞でもあります。古歌で自分の正体を告げるとは、土蜘蛛もなかなか風流ですね。 この曲の最後には、土蜘蛛は独武者という頼光の家来によって退治されてしまいます。しかし、土蜘蛛の投げる糸は舞台上では華やかですよ。今回は仕舞ですが、土蜘蛛は能楽で使う糸を投げます。お楽しみに!
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舞囃子・高砂 高砂。この言葉は結婚式場で聞くことが多いでしょう。それもそのはず。だっておめでたいし結婚式にぴったりな謡なんですもん。 さて、じゃあどんな内容かと言うと、高砂とは、元をたどれば兵庫県の地名です。たまたまこの地を訪れた旅人たちが、ここ高砂ともう一箇所、住江という土地に生えている松の木が合わせて“ 「場所は離れていても夫婦の愛は通じ合うものなんじゃよ」 うーん、なるほど。人生経験豊かなご老人の言うことはとても説得カがあります。でもちょっと待て、じゃあこの松も住江の松と夫婦なんかい! とツッコミもあるかと思いますが、そうなんです。この二本の松の木はまさしく夫婦なんです。旅人たちの目の前にいる仲睦まじいほのぼのカップル二人は実はそれぞれの松の精だったのです! 二人は松にまつわる(シャレじゃないよ)めでたい故事を教えてくれ、住江で待ってるよー、と言って去っていきました。 そして、旅人一行が律儀に住江にやってくると住吉明神が現れて民の安全と長寿を願う舞を見せてくれます。ありがたいことです。
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