<第一回・四月>
「花ぞ散りける。花ぞ散りける。花ぞ散りける」
                        『道成寺(どうじょうじ)



  第一回目は、数ある曲の中でも有名なこの曲から引いてみました。
道成寺です。そう、落ちてくる鐘の中に女の人が入り、鬼となるお話です。

  その娘は、山伏たちが修行の行き帰りに泊まる宿に住んでいました。幼い頃、父親が戯れにその山伏の一人を「あれが夫になる人だ」と教えたことを信じていました。山伏への想いを大切に育て、年頃となった娘は山伏に結婚を迫りました。山伏は驚いて逃げ出しました。逃げついた先が道成寺です。寺の僧の計らいで山伏は下ろした鐘の中に隠れました。娘はあとを追いました。想いの強さのあまり蛇と変じて川を渡り、道成寺に着きました。すると、鐘がしたに下ろされています。不審に思った娘はその中に山伏が隠れていることに気付いたのでしょう、巻き付いて鐘、山伏もろとも熱で溶かし消してしまいました。
  それから年月が経ちました。道成寺では鐘を再興して供養をすることになりました。お能の話はここから始まります。春、桜が満開の季節です。そこへ白拍子が現れ供養のために舞わせて欲しいと申し出、烏帽子をつけて舞い始めます。

その舞のさなか、桜の花が散るのです。
「花ぞ散りける。花ぞ散りける。花ぞ散りける」

  ここの前後の詩章は「山寺のや 春の夕暮。来てみれば 入相(いりあい)の鐘に。花ぞ散りける。花ぞ散りける。花ぞ散りける」となっています。この語句自体は能因法師の詠んだ「山里の春の夕暮来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける」という歌から引いたものなのですが「花ぞ散りける」を三回もくりかえしているのが効果的です。
  花びらが散る、いや、降りしきる様がまざまざと浮かびます。降りしきるからには、花自体もたくさん咲いているのでしょう。咲いている花も多く、そして降りしきる花びらも多い、そのような中の曰くありげな美しい白拍子。しかも日は落ちて薄暗くなっています。夕闇の中、桜と白拍子が舞っているのです。
  桜の花は美しいだけでなく、なにか、少し恐ろしくなるようなものを秘めた花だとは皆さんも感じておられることでしょう。その桜の怖さまでも感じさせる一節です。

  花びらの降りしきる中、白拍子は人々の目を盗んで鐘を撞こうと近づいていきます。 そして山伏を隠した鐘を恨めしげに見つめ、落ちてくる鐘の中に入ってその後蛇体となって現れるのです。

<R.M>


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