<第十二回・二月>
「雲雀落ち来る粟津野の。草の茂みを分け越えて。」
                             『絵馬(えま)



  夜道を歩いている私の鼻先をふっとくすぐる爽やかでほの甘い香り。ああ、もうそんな季節か…と花の下に立ち寄り、香りを胸いっぱいに吸い込みます。その香りの主は蝋梅。町のあちらこちらで咲き始めました。不思議なことにその蝋梅が開花したことに気付くのはいつも夜です。闇の中を歩いていて、漂ってくる香りでそれと知るのです。
  「や。 蝋梅の匂ひの聞え候。」
といったところでしょうか。蝋梅や梅の澄んだ甘い香りは夜によく似合います。
  蝋梅が咲いて梅が咲いて……そして春になるのね、と思うのがこの二月。節分・立春といいますがまさに冬と春との季節を分け、春が立ち上がりつつあるかのような時。季節の分かれ目は年に四回あるはずですがこの“冬−春”のときだけが特別に“節分”と言われていますね。旧暦ではこのあたりが年の変わり目…すなわち春を迎えることは新たな年を迎えることだったからでしょうね。

  今回ご紹介する『絵馬』はその節分の夜のお話です。
  節分の絵馬を奉納する儀式が行われます。絵馬を神殿に掛けて今年の天候を祈願するのです。お伊勢参りに来た天皇の臣下はそれを見ていくことにします。
  そこへ絵馬を掛けに来た老夫婦。二人は臣下に問われて晴れを望むなら白い絵馬を、雨を望むなら黒い絵馬を掛けると説明します。しかしお婆さんが持ってきていたのは黒い絵馬、お爺さんの方は白い絵馬を持ってきていました。さあ、そこでちょっとした言い争いが起こってしまいます。天の恵みの雨で潤うのがよいのか。日の光で作物がすくすくと育つのがよいのか。けれど結局、二人は日も雨もどちらも大切である、として一緒に両方の絵馬を奉納することに決めました。そして二人は実は伊勢の夫婦の神であることを臣下に告げて姿を消します。
  月神が闇夜を照らす中、日神・天照大神が天鈿女命と手力雄命をひき従えて現れました。天照大神は舞を見せた後、「昔、悪い神を懲らしめるためこうして岩戸に隠れたことがありました……」と姿を隠してしまいます。天の岩戸の再現です。天照大神が隠れたあとはもちろん、天鈿女命の出番。彼女の舞であたりはにぎやかになり、その様子が気になりそっと戸の影から覗く天照大神。それを見逃さず戸の隙間に手をかけてグイッと開け、天照大神を外へ連れ出す手力雄命。……そうして昔を思い出して楽しんだ三人の神様はそれ以来月と日が姿を隠すことなくこうして平和な世の中が続いていることを喜ぶ、そんなお話です。
  天照大神の中之舞・天鈿女命の神楽・手力雄命の神舞と三種の舞が次々に舞われ、天照大神の岩戸隠れの逸話の再現がなされる実に豪華なお能です。新春にふさわしく清々しいお話です。
 

  さて、雲雀が出てくるのはお話のはじめの方、天皇の臣下たちが京都から滋賀県を通過して伊勢へと向う旅のところです。
  皆さん、“生物季節観測”ってご存じですか? 花が咲く・葉が色付くなどの植物の変化、また動物がその年に初めて姿を現したりする事象、それらを観測することを言います。日本列島は長いので季節の移り変わりも一度には起こりませんね。南から順に桜が咲いていく、といったような各地の気候の違いが分かるだけでなく、年毎に比較しての季節の遅れぐあい・進みぐあいもわかるのです。「桜前線」「紅葉前線」などが有名ですね。
  そしてそれは植物だけでなく動物でも観測されます。ここに出てきた雲雀はその一つです。「ヒバリ初鳴」といい、ヒバリの鳴き声をその年で一番初めに聞いた日が日本の各地で観測されています。その他に植物ではウメ・タンポポ・ソメイヨシノ・アジサイ・サルスベリ・ススキなどが、動物ではウグイス・モンシロチョウ・アマガエル・ホタル・ヒグラシ・モズなどが観測されています。
  ヒバリ初鳴にも桜と同じように前線があります。日本列島の暖かいところから寒いところへと順々に北上してきます。早いところでは二月の初旬に初鳴が聞かれるそうです。滋賀県ではだいたい二月の中旬から下旬、北海道では四月の半ば頃になります。
 
  早春に囀りとともに姿を現す雲雀は春の季語となっています。畑や草原に巣を作り、ぴぴるりるぴちゅるりる、と囀りながら天高く舞い上がります。その様を“揚雲雀”といいます。そんなにぎやかな雲雀も降りてくる時には全く囀らず、無言で一気に下降してきます。「降りる」より「落ちる」の方がその様子に似つかわしいらしく“落雲雀”と言われています。その雲雀の落ちくる様子を読んだ俳句をご紹介しましょう。

   雲雀落つおのが重みにまかすごと
 
  羽ばたいて飛んで降りてくるというより、本当に落下しているように見えるのでしょうね。ちなみにこの俳句の作者の方、お名前を八木絵馬さんとおっしゃいます。

  京の都からから伊勢神宮へ向う臣下たちはたくさんの春の訪れを感じて姿を表した揚雲雀を見、その声を聞き、そして落雲雀の速度に驚きながらのどかな早春の近江の旅を楽しんだのでしょうね。実は私、そんな落雲雀を見たことがありません。今度お伊勢参りをする計画があるのですが、神様の舞を見ることはかなわずともせめて粟津の落雲雀には逢いたいものです。

<R.M>



戻る