<第八回・十一月> 「この御跡に何時となく。離れもやらで蔦紅葉の。色こがれ纏はり。」 『 夏ももう終わり、と思うともう冬はすぐそこに来ていますね。秋なんてなかった、という人もいますがそんなことはありません。今、たとえちょっと寒くとも今が秋です。秋は短いからこそその美しさも際立つのではないでしょうか。 今回ご紹介する『定家』は、紅葉の季節に北国から京都へ僧がやってくるところから始まります。 僧が雨宿りをするために立ち寄ったのは藤原定家ゆかりの時雨の亭でした。そこで出逢った謎めいた女性はその傍にある墓へと僧を誘います。そのかなり古い墓が蔦葛にびっしりと覆われている様に僧は驚きます。女性は語ります。この墓の主は式子内親王、そしてこの蔦葛は「定家葛」と呼ばれている、と。 式子内親王と定家は想いを寄せ合う仲でした。式子内親王に先立たれ一人後に残された定家はひどく哀しみ、その内親王を想う心が蔦葛となって墓を覆い尽くしたというのです。そして、死んでなお恋の妄執に囚われ続けている二人は今も苦しみ続けているのだと。謎の女性は自分こそが式子内親王であることを明かし、僧に供養を頼んで消えます。 その夜、墓所に昔の姿そのままの式子内親王が現れました。蔦葛に這い纏われて憔悴した姿に僧は心を痛めます。僧が法華経の薬草喩品を読むと絡まりあっていた蔦葛がほどけ落ち、内親王は解き放たれました。内親王は読経を感謝してそのお礼に、と舞います。しかし内親王の姿は再び這い纏う定家葛に覆い尽くされたかと見えて消えてしまうのです。 式子内親王は恋の歌を数多く残しています。それも、公に出来ない忍ぶ恋の歌を。その想い人が誰なのかということは後世の人々の興味を惹きました。その相手を藤原定家とする説にそって作られたのがこの能の『定家』です。二人の年齢などからそれはありえないという人もおり、近年には法然上人であるという説も出てきています。けれども史実であろうとなかろうと墓に這い纏うテイカカズラの逸話はあまりにも印象的で忘れ難いものです。 「この御跡に何時となく。離れもやらで蔦紅葉の。色こがれ纏はり。」 内親王の墓はいつとはなしに蔦に覆われてしまった……そしてその葉が紅葉するのを見て人々は誰かが内親王を想う心の現れだと思った……それが伝説の始まりでしょうか。蔦は秋になると美しく紅葉します。「テイカカズラ」は常緑植物なので秋とは限りませんが落葉する前に葉が鮮やかな紅色に染まります。『定家』の能に藤原定家は出てきませんが作り物の塚に這う葛の姿こそが定家なのです。 はじめは、定家の想いは一方的なもので内親王は成仏できずに苦しんでいるのだと思っていました。『通小町』の小町と少将のように女性を強く愛する男性の想いが二人を妄執の世界に留めつづけており、そこを抜け出ようとしているのだと。そして、小町と違い内親王はそれが叶えられなかったのだと。一度は僧の読経によってテイカカズラから解き放たれたのです。それなのに再びもとの如くになってしまうのはなぜなのか。内親王は成仏することを諦めてしまったのか。いえ、そうではないのでしょう。『定家』の舞台を見て思いました。式子内親王は自ら墓へ戻っていっているのです。内親王は、自分一人なら成仏できたのではないか、けれど、二人一緒に成仏することを願って敢えて留まったのではないかと。 塚の作り物に地謡座側から入って正面へ出、右ヘ回って脇正面側から入って再び正面へ出る……式子内親王は報恩の舞のあとにこのような動きをします。作り物は動きませんから内親王が蔦に絡まれる様を動的に表すとすれば内親王自身が動かざるをえません。けれどもその動きが内親王の優しさに思えました。愛といってもいいかもしれません。大口や長絹と蔦の葉が擦れ合うカサカサという音も効果的で内親王が再び葛に閉じ込められてしまう様がまざまざと浮かびます。 内親王はテイカカズラを……定家を一人妄執の世界に置いていくのは忍びなかったのでしょう。陰鬱な話ですが、そう思うと少しは救われる思いがします。定家と内親王の二人には救いがないのですが自分たちで択んだ道ですから。 苦しみ続けることになるのは分かっていても戻っていってあげたのではありませんか、見捨てることはできなかったのですよね、と今なお紅く染まるテイカカズラを見ているとそう内親王に訊いてみたくなるのです。
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