能楽「小鍛冶」


能面
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作り物
作り物


文掲載(現代語訳付き)
左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。
ワキツレ これは一篠の院に仕へ奉る橘の道成にて候。さても今夜帝不思議の御告ましますにより。三篠の小鍛冶宗近を召し御釼を打たせらるべきとの勅諚にて候間。只今宗近が私宅へと急ぎ候。 私は一条の院にお仕え申している橘道成*1です。さて今夜帝は不思議な夢のお告げをお受けになったので、三条の小鍛冶宗近*2にいいつけて、御剣を打たせるようにと仰せ下され、ただ今宗近の自宅へと急いで行くのです。
  ワキツレ(橘道成)
*1 橘道成さんは残念ながら架空の人物のようです。以上。
*2 “小鍛冶”というのは宗近の称号のようなものです。宗近は実在の人物で、やはり一条天皇の時代に、京都に三条に住んでいたようです(三条には代々鍛冶師が住んでいたらしい)。それで三条の小鍛冶宗近。なるほど。
  宗近は腕のいい鍛冶師だったようで、鞍馬に奉納した彼の刀を後に源義経がもらいうけたとか、いくらかの書物にも載っています。名刀“小狐丸”も実在し、彼が打ったようです。稲荷明神と、かどうかは分かりませんが。
  蛇足ですが、“小狐丸”には別の言い伝えもあるんですね。ここには書きませんが。どちらにしろロマンのある物語です。


ワキツレ いかにこの家の内に宗近があるか もうし、宗近は在宅か。
ワキ 宗近とは誰にて渡り候ぞ 宗近 宗近とお呼びになるのは、どなたでございます。
ワキツレ これは一篠の院の勅使にてあるぞとよ。
さても帝今夜不思議の御告ましますにより。宗近を召し御釼を打たせらるべきとの勅諚なり。急いで仕り候へ
これは一条院の勅使であるぞ。
さて、帝におかれては、今夜不思議な夢のお告げをお受けになったので、宗近にいいつけて御剣を打たせるようにと仰せ下されたのだ。急いで致すように。
ワキ 宣旨畏まって候。さようの御釼を仕るべきには。我に劣らぬ者相槌を仕りてこそ。御釼も成就候べけれ。これはとかくの御返事を。申しかねたるばかりなり 宗近 ご命令ありがたく承りましたが、そのような御剣をお作りしますには、私に劣らない者が相槌*1を致しましてこそ、立派に打ち上げられるのでございます。その相槌を打つ者がございませんので、この儀は承諾のお返事を申し上げかねるのでございます。


*1 刀というものは、弟子と師が向かい合って互いに鎚を打つもの。相槌を打つ、なんて言葉もありますよね。相手の言葉に同意してうなずく、話に調子をあわせるという意味です。


ワキツレ げにげに汝が申す所は理なれども。帝不思議の御告ましませば。頼もしく思いつつ。はやはや領状申すべしと。重ねて宣旨ありければ いかにもそなたの言うことはもっともだが、帝*1が不思議な夢のお告げをお受けになったのだから、頼もしく思って早速お受けするのがよかろう。……と重ねて命令を伝えられたので。
ワキ この上は。とにもかくにも宗近が 宗近 さよう仰せられましては私も申しようがなく。
とにもかくにも宗近が。進退ここに極まりて。御釼の刃の乱るる心なりけり。さりながら御政道。直なる今の御代なれば。もしも奇特のありやせん。それのみ頼む。心かなそれのみ頼む心かな 地謡 辞退もできず自信もなく、宗近は進退極まって。御剣についてさまざまに心が乱れるのでございます。しかし、政治の道の正しい今の世であるのだから、もしかして不思議なめでたいしるしがありはしないかと、そればかりを頼みに致すのです。
  ワキ(三条小鍛冶宗近)
*1 一条天皇は、まさに藤原氏による摂関政治の全盛期の天皇です。彼の奥さんに仕えていた清少納言であり紫式部。彼の時代には宮廷文化が花咲き、多くの歌人や賢臣が彼のもとに集い、、また彼自身も学問を好み詩才にも富んでいたとか。かれの時代は聖朝とも呼ばれました。


ワキ 言語道断。一大事を仰せ出されて候ものかな。かようの御事は神力をたのみ申すならではと存じ候。
某が氏の神は稲荷の明神なれば。これより直ぐに稲荷に参り。祈誓申さばやと存じ候
宗近 誠に思いもよらぬ重大な事を仰せつけられたものだ。このような大事には神のお力をお頼みするより他にない。私の氏神*1は稲荷明神なので、これからすぐに稲荷に参詣して、お祈りしよう。
シテ のうのうあれなるは三篠の小鍛冶宗近にて御入り候か 童子 おういおうい、そこへ行かれるのは三条の小鍛冶宗近どのですか。
ワキ 不思議やななべてならざる御事の。我が名をさして宣うは。いかなる人にてましますぞ 宗近 これは不思議だ。唯人とは思われぬ*2貴いお姿の方が私の名を指して仰せになりますが、一体どなたでございましょう。
  前シテ(童子)
*1 住んでいる土地の鎮守の神……だと思うんですけど。
*2 神様というものは、例え変身してもどこか神秘性をかもしだすものなんでしょうか。まあ本当にその辺で遊んでそうながきんちょに化けても、宗近さんは本気で聞いてくれないでしょうから。


シテ 雲の上なる帝より。釼を打ちて参らせよと。汝に仰せありしよのう 童子 畏くも帝から剣を打てと、そなたに仰せつけられたなあ。
ワキ さればこそそれにつけてもなおなお不思議の御事かな。釼の勅も只今なるを。早くも知ろし召さるる事。返すがえすも不審なり 宗近 今のお言葉を聞くにつけても、ますます不思議に思われます。御剣を打てとの命令を拝したのもたった今の事ですのに、早くもご承知なのは、返す返すも不思議に思われます。
シテ げにげに不審はさる事なれども。我のみ知れば外人までも 童子 なるほど不審に思うのはもっともだが、自分だけが知っているつもりでも、いつのまにか他所の人にまで知れ渡るものだ。
ワキ 天に声あり 宗近 天に声があれば、
シテ 地に響く 童子 地に響くように。
地  壁に耳。岩の物言う世の中に。岩の物言う世の中に。隠れはあらじ殊になお。雲の上の御釼の。光りは何か暗からん。ただ頼めこの君の。恵みによらば御釼もなどか心に叶わざるなどかは叶わざるべき。 地謡 ことわざに「天に声あり壁に耳あり」とか「岩の物言う世の中」とかいうように、そんな世なのだから、隠れなく知れ渡ってしまうものなのだ。殊に帝から御剣の御用を承ってのだから、光が暗かろうはずもなく、格別早く知れ渡るのも当然であろう。ただ頼もしく思うがよい。院の恩恵があるからには、御剣も思うように打ち上げられないはずはないのだ。


それ漢王三尺の釼。居ながら秦の乱れを治め。また煬帝がけいの釼。周室の光を。奪えり 地謡 いったい剣の威徳というものは誠に貴いもので、漢の高祖はわずか三尺の剣でやすやすと秦の乱世を治め、また隋の煬帝はけいの剣(・・・・)で周の天下を奪ってしまった。
シテ その後玄宗皇帝の鍾馗大臣も 童子 その後唐の玄宗皇帝*1の時にも、鍾馗大臣*2は、
釼の徳に魂魄は。君邊に仕え奉り 地謡 剣の徳によって、その亡霊が皇帝を守護するようになったわけで、
シテ 魍魎鬼神に至るまで 童子 悪霊や鬼神のような恐ろしいものでも、
釼の刃の光に恐れてその仇をなす事を得ず 地謡 剣の刃の光には恐れをなして、危害を加えることができないのだ。
シテ 漢家本朝に於いて。釼の威徳 童子 中国でも日本でも、剣の威徳というものは、
申すに及ばぬ。奇特とかや 地謡 その他いちいち言い尽くせないほどに数々の奇特があるのだ。


*1 仕舞「鶴亀」参照。
*2 この人は幽霊です。試験に落ちて憤死したんですが、玄宗皇帝に手厚く葬られたので皇帝を守護するようになったと、そういうわけです。


頃は神無月。二十日あまりの事なれば。四方の紅葉も冬枯れの遠山にかかる薄雪を。眺めさせ給いしに 地謡 倭健命が、景行天皇の命令で東国に遠征に行ったときのこと。その激戦は十月二十日あまりの事であったので、四方の紅葉も枯れ散ってしまい、もう冬枯れの訪れた遠山に薄雪がかかっているのを命がご覧になっていらっしゃると、
シテ 夷四方を囲みつつ 童子 敵が命の四方を囲んで、
枯れ野の草に火をかけ。餘煙頻りに燃え上がり。敵攻鼓を打ちかけて。火焔の放ちて懸かりければ 地謡 枯野の草に火を付けたので、火炎は盛んに燃え上がる。敵は攻鼓を打ってはますます火炎を放って攻め寄せて来たので、
シテ 尊は釼を抜いて 童子 命は剣を抜いて、
尊は釼を抜いて。邊を拂い忽ちに。焔も立ち退けと。四方の草を。薙ぎ拂えば。釼の聖霊嵐となって。焔も草も。吹き返されて。天に響き地に充ち満ちて。猛火は却って敵を焼けば。数萬騎の夷どもは忽ち此処にて失せてげり。 地謡 命は剣を抜いて、辺りを薙ぎ払い、「直ぐに火炎も立ち退け」と四方の草を薙ぎ払われると、剣の精霊は嵐となって、炎も草も敵の方へと吹き返した。火炎は天に輝き地に満ち満ちて、その盛んな火が却って敵軍を焼き尽くすこととなったので、数万の敵軍はあっというまに全滅してしまったのだ。


なんか話が飛んだような…と思った人がいるかもしれませんね。演能の都合上、少し謡がカットされています。そうなんです。


どうでもいい話…。
  倭健命(日本武尊)は、本名は小碓命といいます。景行天皇の皇子で、その勇猛さに恐れを抱いた天皇は、倭健命を休みなく反対勢力の討伐に行かせて都から遠ざけようとするんです。童子が語る皇子と草薙の剣の活躍物語もそんな遠征のひとつ。皇子は「いつになったら都に帰れるのか」と嘆きつつも数々の激戦や苦難を乗り越えていきます。東へ旅立つ前に、伊勢神宮で伯母の倭姫命から草薙の剣を受け取ります。
  アイ狂言が言うんですが、草薙の剣はもとは天叢雲剣とも言い、皇子が草を薙ぎ払って難を逃れたことから草薙の剣と改名した、とか諸説あるんですけど、童子の話では最初から草薙の剣です。
  で、見事に勝利を治めるわけですが、後にこの剣を手放した事で皇子は命を落とし、都に帰ることはできなかったんです。悲劇の英雄ですね(涙)。
  もし、話の途中で童子に倭健命がのりうつったのだとしたら、童子がふっと遠山を眺める場面は、遠い都を思っているのかもしれませんね。


その後。四海治まりて人家戸ざしを忘れしも。その草薙の故とかや。只今。汝が打つべきその瑞相の御釼も。いかでそれには劣るべき。傅ふる家の宗近よ。心やすくも思いて下向し給へ 地謡 その後は天下がよく治まっていて盗賊の心配もなく、民も安心して戸締りを忘れる程であったのも、草を薙ぎ払ったこの草薙の剣のおかげである、ということだ。今、そなたが打つめでたい*1前兆のある御剣も、必ずこれに劣らない程のものであろう。刀鍛冶の家業を伝えてきた家の宗近よ、安心して自宅に帰られるがよかろう。
ワキ 漢家本朝に於いて釼に威徳。時にとっての祝言なり。さてさて汝はいかなる人ぞ 宗近 中国や日本における剣の威徳をうかがいましたことは、今の場合にふさわしいめでたいお言葉で、申しようもなく有難く存じます。して、あなたはどういう方なのです。
シテ よし誰とてもただ頼め。まづまづ勅の御釼を。打つべき壇を飾りつつ。その時我を待ち給わば 童子 いや誰であってもよい。ただ頼みに思うがよい。それよりはまず勅命の御剣を打つべき壇を飾って、その時私を待っていたならば、
通力の身を変じ。通力の身を変じて。必ずその時節に参り會いて御力を。つけ申すべし待ち給へと。夕雲の稲荷山行方も知らず。失せにけり行方も知らず失せにけり 地謡 神通力を得た身を変えて、きっとその時刻に参って力を添えよう。待っておいでなさい。
……と言うや、夕雲のかかった稲荷山の中に行方知れずに消え失せてしまった。


*1 めでたいってそりゃあ天皇の霊夢に出てくるような剣だしねえ。


このページには訳がありません。あしからず。でも何となくわかるでしょ?でしょ?
アイ かように候者は、三條の、小鍛冶宗近に仕え申す者にて候。
さるほどに一條の院この不思議の瑞相ましますにより。三条の小鍛冶宗近に御剣を打たせらるべきとて。橘の道成を勅使として。宣旨の趣仰せつけらるる。宗近宣旨承り。かようの御剣を打ち申すには。我に劣らぬ相槌なくては叶わじとて。色々辞退申されけれども。綸言汗の如く*1または家の面目と存じ。畏まったると御請けを申し。この度の御剣は私に計らい難し神力を頼まんとて。稲荷明神は氏の神なれば。ただ今参詣申され候所に。明神仮に童子の姿となり。宗近に行合い御詞をかわされ。剣の威徳くわしく御物語あり。
総じて我が朝に神代より伝わる御剣二つあり。十束の剣叢雲の剣なり。十束の剣は須佐之男命*2出雲の国の川上にて。大蛇を従え給いし剣なり。又叢雲の剣はかの大蛇の尾にありし剣なり。その後人皇の御世となって。景行天皇第三の皇子倭健命。駿河の国浮島が原にて東夷を平らげ給い。その時叢雲の剣を草薙の剣と名付け給う。
その外漢の高祖の三尺の剣。干将莫耶の剣*3。漢家本朝の剣の威徳くわしく御物語あり。汝も名を得し鍛冶なれば。いづれ劣らぬ御剣を打つべきこと頼もしく思い。鉄を錬えて待つべし。その時明神出現あって。相槌を打たせらるべきとの御事にて候。ようようその時節になり候えば。壇の飾りその用意仕り候へ。その分心得候へ。心得候へ。
  アイ(宗近さんちの下人)
*1 一度口にしたこと君主の言葉は、汗が再び体内に戻らないように取り消すことができない、という意味。
*2 イザナギの命とイザナミの命の息子さん。乱暴者で、事件を起こして追放され、出雲に来た、という話。
*3 名剣、という意味。古代中国で、「干将」「莫耶」というふたつの名剣があったそうな。ちなみに、「干将」は剣を作った刀工の名で、「莫耶」は、これを助けた奥さんの名前からとったとか。


ワキ 宗近勅に従って。即ち壇に上がりつつ。不浄を隔つる七重の注連。四方に本尊を懸け奉り。幣帛を捧げ
仰ぎ願わくは。宗近時に至って。人皇六十六代。一條の院の御宇に。その職の誉を蒙る事。これ私の力にあらず。伊奘諾伊奘冊の。天の浮橋を踏み渡り。豊葦原を探り給いし御矛より始まれり。その後南瞻僧伽陀国。波斯弥陀尊者よりこの方。天国ひつきの子孫に傅へて今に至れり。願わくは
宗近 宗近は勅命に従って、壇のうえに上がり、不浄を隔てるために壇に何重にもしめ縄を張り、四方に守護神の絵像を掲げ奉り、色々のお供物を供えた。
どうか神々様。私は非常な幸運を得まして、人皇六十六代一条天皇のこの御世に、刀鍛冶としての名声を得ているのは、私自身の力ではございません。そもそも刀剣と申すものはイザナギとイザナミの二神*1が、天の浮橋を踏み渡って、この国土をお探り遊ばした時のその矛から始まりましたもので、その後この人間世界では、天竺の僧伽陀という国の波斯弥陀尊者という方がこの業を始めまして、それより以来天国*2の子孫が代々伝えて今日となったのでございます。
どうか神々様。


*1 多賀大社にまつられている神様方。天照大神と須佐之男命や、国土、山川草木の神様方の両親。
*2 日本の刀剣の祖と伝えられている。伝説上の刀工。大和の人。


願わくは。宗近私の功名にあらず。普天率土の勅命によれり。さあらば十方恒沙の諸神。只今の宗近に賜び給えとて。幣帛を捧げつつ。天に仰ぎ頭を地につけ。骨髄の丹誠聞き入れ納受。せしめ給えや 地謡 どうか神々様。今回の仕事は宗近個人の名声を高めるためにするのではありません。天下を治め給う帝*1のご命令です。ですから、十万世界にまします無数の神々様、ただ今の私に力をお合わせ下さいませ。こうしてお供物を奉り、天に仰ぎ地に頭をつけて、心底からの誠心誠意を込めた祈願をお聞き入れになり、どうかこの願いを叶えて下さい。
ワキ 謹上。再拝 宗近 謹んでお願い申し上げます*2
いかにや宗近勅の釼。打つべき時節は虚空に知れり。頼めや頼め。ただたのめ 地謡 これ宗近、勅命の御剣を打つべき時が虚空に知れたのだ。頼もしく思うがよいぞ。
  後シテ(稲荷明神)
*1 もちろん、一条天皇のこと。
*2 「謹上、再拝」というのは神様に祈る時の決まり文句みたいなものだそうです。


シテ 童男壇の。上に上がり 稲荷明神 少年の姿をした稲荷明神は壇の上にあがって。
童男壇の。上に上って。宗近に三拝の膝を屈し。さて御釼の鉄はと問えば。宗近も恐悦の心を先として鉄取り出し教えの槌をはったと打てば 地謡 少年の姿をした稲荷明神は壇の上にあがって、主槌の宗近に膝を屈して三拝し、
「さて、御剣の鉄は…」
と尋ねると、宗近も喜びに夢中になりながら、鉄を取り出して相槌を導く第一の槌をはった(・・・)と打つと、
シテ ちょうと打つ 稲荷明神 明神がちょう(・・・)と打つ。
ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音。天地に響きて。おびたたしや 地謡 ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音は、天地に響いて、盛んな音がする。
ワキ かくて御釼を打ち奉り。表に小鍛冶宗近と打つ 宗近 こうして御剣を打ち奉って、宗近は刀の表に小鍛冶宗近と銘*1を打つ。
シテ 神體時の弟子なれば。小狐と裏に鮮かに 稲荷明神 稲荷明神がその時に相槌を打った弟子だったので、裏に小狐と明瞭に刻み。


*1 刀剣には製作者の名前を入れるんです。それが銘です。彦根城博物館にも刀剣が展示されているので、見てみてください。


どうでもいい話…。
  稲荷明神は、鍛冶をつかさどる神様じゃありません。すべての食物をつかさどり、田の神様(農業の守護神)ともされています。そんなわけで、稲荷明神は、刀鍛冶に関しては素人…? 謙虚に相槌として出てくるのも頷けます。農業の守護神が打った剣ですから、そんな剣で国を治めれば、五穀豊穣は間違いなし。武器なのに武力的な特殊効果ではなく、豊作間違いなし、なんて平和な世の中だからこそですね。こんな武器なら大歓迎です。
  ちなみに、狐は稲荷明神の使者だそうです。


打ち奉る御釼の。刃は雲を乱したれば。天の群雲ともこれなれや 地謡 打ち終わった剣の刀には、雲を乱したような乱れ模様があって、天の叢雲の剣もこうであったかと思われることだ。
シテ 天下第一の 稲荷明神 これぞ天下第一の。
天下第一の。二つ銘の御釼にて。四海を治め給えば五穀成就もこの時なれや。即ち汝が氏の神。稲荷の神體小狐丸を。勅使に捧げ申し。これまでなりと言い捨てて。また群雲に飛び乗りまた群雲に。飛び乗りて東山。稲荷の峯にぞ帰りける 地謡 天下第一の名剣で、裏表二つの銘を打ったこの御剣で天下をお治めになれば、五穀も時を得て豊かに実り、平和な世となるであろう。すなわちこの御剣はそなた・宗近の氏神である稲荷明神になぞらえた小狐丸と名付けよう。
……と、稲荷明神はその小狐丸を勅使に捧げ申し、
「では帰るぞ」
と言い捨てて、また叢雲に飛び乗って、東山の稲荷の峯に帰っていった。


おわり。