お能でウフフ 月と海と僕らの法則。 淡海能なら「秋ですね」といい、その他のときでも発表される時期にあわせてなんだかんだといって書き出していることの多いウフフですが、こういういつ見られるか分からないような場合は困りますね、などといいつつこんにちは。どんな季節にご覧になるにせよ、みなさんご機嫌よろしくて? さて、今回の題材は数ある謡曲の中でも名曲・名文との誉れ高い『融』でございます。読めば読むほど味わい深い『融』はまさに汲めども尽きぬ塩釜の浦ですな。毎日三千人が海水を汲んで注いでくれてるだけあります。でも、それもまた文章読んでるだけでは思いつかなかったような視点がお能を見てるとぽかんとココロに浮かび上がってきたりで、ほんとうにきりがありません。キリはあります。それは西岫にー。最終にー。 さて、その『融』は「月」が主題ともいえるほどなのですがその月につきまして昔からなんとなく「へんなの」と思っていることがありましてね。まず前シテのおじいちゃんが 「月もはや。出汐になりて塩竃の。浦さび渡る。氣色かな」 といって登場しますね。そしてお坊さんと出会ってしばらくおしゃべりしてからまた 「や。月こそ出でゝ候へ」 といいますね。それで、「'月もはや'、て言うといて、さんざん塩釜のこととか融大臣のこととかしゃべったあげくに'や。'だなんて、とうの昔に月は出とったんと違うんかーい!」と思ってたのです。しかし。相手は天下の世阿弥さんでございます。世阿弥さんと私なら比べるまでもなく圧倒的に私の方が信用ならないので謙虚な私はちゃんと調べたんですよ、と。その報告が今回のウフフとなっております。 辿り着いた結論はと申しますと、あの最初のセリフはまん丸お月さんが昇ってきた姿を見て「月が出た」といっているわけではないのではないか、ということです、はい。(その辺りの詳しいことは訳文を参照してください。私の苦労の跡をうかがうとよいと思います。)その鍵は月と潮の満ち引きの関係にありました。 ここで月と潮の関係について軽くまとめておきましょう。そんなことは常識だあねという漁師さんやら釣り人さん、博識さんにはお手間をとらせて申し訳ないことですが。 潮に干満があるのは月と太陽の引力のためです。月と太陽は地球をそれぞれぐぐぐと引っ張っているのですが地球はおいそれとは動きませんやね。しかし、表面を覆う水は動いちゃいます。月と太陽が同一直線上から引くときはパワーがあわさってぐーんと外に向って引っ張られます。それが、大潮。新月・満月の頃になります。半月の頃は月と太陽は90度に位置するためあっちも引っ張りこっちも引っ張りでパワーを打ち消しあうことになり、さほど潮は高くなりません。それが小潮。満月・新月の時に潮は最も高くなり、最も低くもなるのです。だから潮干狩りは満月・新月のときの干潮を狙っていくのがよいのです。とはいえ、波は海の底をひきずって移動するため摩擦やらなんやらで遅れて反応します。だから、月の出とともに潮が満ちてきて月が一番高くなっているときに満潮! とわかりやすく満ちてくれるわけにはいかないようです。また海の場所がかわると諸々の条件も変わりますから干潮満潮の時間は大きく異なり、同じ太平洋側といっても近畿と東北ではかなりの差があるのです。 と、おおよそですが書いてみました。さあ、それらの知識をふまえまして『融』の世界のことを考えてみることとしましょう。京都の真ん中に穴を掘って水を溜めたからって海のように潮の干満が見られるとは思えないのですがそんな細かいことはさておき、あそこは塩釜の浦なんですから潮の満ち引きもないとつまらないですよね。いえ、融公のころにはなかったかもしれませんけれど、この夜、仲秋の名月の夜にだけ蘇ったまさしく夢の中の塩釜の浦ならばホンモノの陸奥の塩釜でのように潮だって満ち引きすると思うのです。夢ですもの、それぐらいはねえ……あー! でもあったかも。潮の満ち引き。汲んで来た海水を注ぎ込む量で操作すればいいんですもんねえ。少しずつ入れて満ちさせて、引いていく(つまりはどこかに流れていくんだと思うんですけど。どこかに水が消えていかないことには毎日水汲んできてたら溢れるばっかりですもん)のを待つ。そうして干潮になったらまた海水を入れていって……と、毎日3000人もの労力が動員されていたのはそのためかもしれません。大阪城あたりから六条河原まで海水を運ぶ作業の仕事量がどれほどのものか見当もつかないので適当に言ってるだけですけど。そんなぐだぐだと言わなくとも「潮が満ちてきた」と前シテのおじいちゃん本人が言っている以上、潮は満ち引きするのです。謡本は絶対です。 そこで疑問が一つ湧いてくるわけです。ぽかんと。京都の真ん中では一体どんな時間帯に潮が満ちたり引いたりしてたのかしら。これ、素朴な疑問だけど大事なことよ。 ・候補1。なんたって塩釜ですから、やっぱり本家本元の陸奥の塩釜と同じ時間帯かな。 ・候補2。最寄の海の時刻と近い感じで想定してるのかも……となると大阪かしら。 溜めてる水だって出身地は大阪だものね。 ・候補3。京都だから、京都の海といえば舞鶴! と、この三つほどを思いつきましたけど三つめのは単に今の行政区画でいえば京都府、ってだけでして融さんの時代はそれぞれ山城とか丹後とか言ってたんですから関係ない、ってことで却下します。 先ほど、土地によって潮の満ち引きの時間は違うと申しましたが残った二つの候補、陸奥と大阪の両方のデータを見比べてみますとどうも大阪の方が詩章には近いようです。近いどころかそれにそって考えてみますとこの『融』当日の時間の経過がよくわかるんですよ。 さあ、では『融』のなかの月の出、潮の満ち引きに関する記述を抜き出して時間の経過を見られるものかどうかを見てみたいとおもいます。今年(2003年)の仲秋の名月は9月11日です。月の出入りの時間や潮の満ち引きの時間は毎年変わりますが、とりあえず旧暦で同じ頃なら大体同じような流れになると思われます。今年9月11日の夕方から12日の夜明けまでのドラマとして、月と日の動き、潮の動きの予想とを照らし合わせてみましょう。
お坊さまが六条河原院に到着。お疲れだったのでしょう、ここで休憩なさいます。 17:00ごろ、おじいさんはたぷたぷと満ちてきた潮とともに現れます。 「月もはや。出汐になりて塩竃の。」 17:50ごろ、西方に山がありますので刻限より早く日沈となるでしょう。 「浦和の秋乃夕べかな」
お坊さまと出会い、「汐汲なんておかしい」「そういうあんたこそおかしい」などとやりとり。
塩釜の浦を移した話をしていたところ、そこへ 「や。月こそ出でゝ候へ」 19:20ごろ、ようやく清水山の上に月が姿をあらわします。 月に照らしだされる景色に古詩を思い出し、二人はすっかり意気投合。
河原院の話をしてはともに返らぬ昔を思って泣き、また名所教えをしているうちに、 「空澄み昇る月影に。さす汐時もはや過ぎて」 21:00ごろ、潮を汲み始めるでしょうか。満潮はとっくに過ぎているそうなので。 そして、潮を汲むうちいつしかその姿は潮曇に紛れて…… 22:00ごろ、里の人が来るわけですね。えらい夜歩きですな。寝付けなかったのかしら。 お話をたくさん聞いて、里の人も帰ります。 23:00ごろ、眠りについたのではないかと。 さて、眠って融さんが現れるまでを一時間程、と見ます。参考『箱崎』。 24:00ごろ、貴公子融さん登場。満月の光を浴びてうれしそうです。
『天鼓』で夜明けを告げるのは「五更の一點」の鐘。 9月12日早朝の五更の一点を計算すると3時50分前後になると見ました。 04:00ごろ、鐘が鳴ります。鳥も鳴いて…… 「月もはや。影かたむきて明方の。」 04:30ごろ、融さんは月へ帰ってしまいます。ああ名残惜しや。 日の出の一時間ほど前から白んできますよね。 すると月の光も弱くなったように感じてしまいます。 融さんにはまだ月光が強い時にその光に乗って帰っていってほしいのです。
06:30ごろ、西の山に月は姿を隠します。
いかがです? 四角く囲って何時何分、と明記してあるのはしかるべきところで入手した予想時刻です。(気象庁と国立天文台のサイトです。大変お世話になりました。)あとは私の推測した時刻ですけどお話の展開と、月・潮の動きと比べてみて無理がないでしょう? ほんとに、仲秋の名月の夜の時の移り行く様をを織り込んだ曲だったのですね。すごいなあ。月と地球と太陽とで織り成しているこの壮大な動きをさほど意識せずに生きてきたガサツな私は感じ入ってしまいました。明かりのない時代の人にとっては太陽と月の動きは生活に欠かせない知識で、それを無視した作品を書くことなど思いもよらなかったんでしょうけど。私なんぞが月夜の海辺のお話でも書こうもんなら適当に「月が昇った」「沈んだ」「潮が満ちた」などとかいて各方面から突っ込まれるのが関の山です。けどこれでもう大丈夫、月の動きと潮の動きに関しては迂闊に書けない、ということはよくよくわかりました。謡曲って勉強になるなあ、としみじみ。 それにしても満月の動きってよくできてますね。満月は日没頃に出て日の出頃に沈むんですね。月はその姿を変えるごとに出てくる時間も変わります。そして、一晩中月を見られるのが満月の時である、というのはなんとも世の中うまくしたものだなあ、と思わずにはいられません。昔の人が満月を心待ちにして月見を楽しんだのはまるくてきれいで明るくなるからうれしい、というのに加えて夜通しその姿を楽しめるからだったのですね。こんなこと、あたりまえですか? ああ、そうですよね、ほら、だって私は夜遊びなんかしないからいつお月さんが出たり入ったりするかあんまり知らなかったのですよ。って、ごめんなさい嘘です。単に注意力散漫、なおかつ風流心に欠けているだけです。でも、それが分かってうれしかったのです。 空が白んでくる頃に西の空に傾いた満月に引かれて帰っていく融さんはかっこよすぎますね。これ以上の退場の仕方があるかってなぐらいですね、さすがです。颯爽としてかっこいいんだけどああん切なくなるじゃないの、私をこんな気持ちにさせておいて置きざりにするのねもう、ってな具合です。そんな融さんの帰っていった満月の姿を見たいのですけど一日でもずれると月の入りの時間は一時間ほど変わるんですよね。そうすると機会はまた一月後になるわけで、などといいつつ去年から見逃し続けの私。今度こそちゃんと見よう! さしあたって2003年8月の満月は12日です。夜更かしするぞー! あ、13日に早起きする方が賢いですな。日の出は13日の5:14、月の入りは5:50だそうですから(滋賀県大津あたりの予想時刻です)。よい子は早寝早起きするのさ、ウフフ。
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