能楽『鶴亀』


◆あらすじ◆
  新年を迎えた唐の都でのお話。皇帝が節会のため月宮殿に行幸する旨が官人によって告げられます。役人各位に参内するよう伝えて官人は去り、そこで皇帝の登場となります。 新年の節会は不老門で皇帝が日と月の光を見ることから始まります。宮殿には参内した人々がひしめき、皇帝に拝礼する声は天まで響く勢いです。この宮殿の色とりどりの宝玉・錦によって飾られている様は神仙境を思わせるありがたさです。 池の汀では長寿の象徴である鶴と亀が遊んでいます。鶴と亀は舞い、皇帝に長寿を授けます。そして感じ入った皇帝は自ら国の栄えを願って舞うのでした。その後、皇帝は長生殿へと帰っていきます。



全文掲載(現代語訳付き)

左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。

◆場面1・官人登場◆(謡曲にはない部分です)
アイ かやうに候者は。玄宗皇帝に仕へ申す官人にて候。誠にこの君賢王にてましませば。吹く風枝を鳴らさず民戸ざしをせず。誠にめでたき御代にて候。然れば今日は月宮殿へ行幸なり。鶴亀を舞はさせられ。御遊あるべきとの御事なり。卿相雲客に至るまで。皆々この殿へ参内申され候へ。その分心得候へ心得候へ 官人 私は玄宗皇帝*1に使える官人であります。誠に玄宗皇帝はまさしく賢王であらせられます。おかげで吹く風は枝を鳴らさぬ穏やかな世であるし、治安もよいため民は戸に鍵をかける必要もありません。そのように実にめでたい御代なのです。本日、月宮殿へ玄宗皇帝の行幸があります。そこで鶴と亀に舞を舞わせ、お楽しみになる由承っております。公卿様も官人の皆様も月宮殿へ御参内くださいますようよろしくお願いいたします。


*1 観世流の謡曲の詩章においては、この『鶴亀』の主人公が玄宗皇帝だとは一言も書いてありません。けれど昔の書物で「別名『玄宗』」としているものもあり、玄宗皇帝だと見て間違いないようです。
  玄宗皇帝はご存じですか? そうです、楊貴妃に夢中になって汚名を残したあの皇帝です。まさしく傾国の美女ですな、楊貴妃さんたら。でも、それ以前は立派な皇帝さんだったらしいんですのよ。ほんとに。でもそんな愛に生きた二人、みんな嫌いにはなれないらしくてお能には『楊貴妃』、それからシテではないけれど二人が出てくる『皇帝』という曲もあります。


◆場面2・皇帝の行幸、拝礼する家臣◆
シテ 「それ青陽の春になれば。四季乃節會の事始め 皇帝 「さて、青陽*1といわれる春が訪れた。四季折々の節会*2の事始をいたそう
「不老門にて日月の。光を天子乃叡覽にて 地謡 「不老門*3において皇帝は日と月の光を御覧になる
シテ 「百官卿相に至るまで。袖を連ね踵を接いで 皇帝 「役人から公卿、宰相に至るまでが居並ぶさまは袖を連ね踵を繋いでいるようではないか
「その數一億百餘人 地謡 「その人数は一億百人余り
シテ 「拜をすゝむる萬戸の聲 皇帝 「おお、万民の拝礼する声が聞こえる
「一同に拜するその音ハ 地謡 「参集した人々が一斉に拝礼する声は
シテ 「天に響きて 皇帝 「天にまで響くほどの
「夥し 地謡 「夥しさである
「庭の砂ハ金銀の。庭の砂ハ金銀の。珠を連ねて敷妙乃。五百重の錦や瑠璃の樞。シャコの行桁瑪瑙の階。池の汀乃鶴亀ハ。蓬莱山も外ならず。君の惠ぞありがたき君の惠ぞありがたき 地謡 「宮殿の庭の砂は金と銀。金と銀の珠玉を敷き詰めている。床には錦*4が幾重にも重ねられ敷かれている。扉は瑠璃*5。行桁はシャコ貝*6、橋は瑪瑙*7で出来ている。庭園の池水の辺には長寿の象徴・鶴と亀。仙人の住む蓬莱山*8はまさにこのようなところなのであろう。これも皇帝の徳の恵みというものである。実にありがたいことだ。
(シャコはしゃ■(石+車)こ■(石+渠)、と書きます。)

*1 青陽とは春のことです。“青春”の青とおんなじ意味です。
*2 宮殿で年に何回か催された集会のことです。節日だとか公式行事の行われる日にやっていたのですが、その日は皇帝も参加してそこに集まる群臣たちに酒撰を賜ったそうです。皇帝さんと楽しむご飯会ってことでしょうか。
*3 和漢朗詠集に載っている慶慈保胤さんの漢詩に「長生殿裏春秋富、不老門前日月遅」とあるところから。月と日が遅い、というのはすなわち年月の歩みが遅い、つまり年をとらないということなのだとか。
*4 美しい織物のことです。
*5 瑠璃は青色をしたインド産の宝石。今ならラピスラズリといわれていますね。七宝のひとつといわれました。
*6 これまた七宝のひとつ。シャコ貝の貝殻を磨いたもので白く美しく光っているそうです。蝦蛄じゃないよ。
*7 瑪瑙も七宝のひとつ。ちなみに七宝とは金・銀・瑠璃・玻璃・珊瑚・瑪瑙・シャコの七つをいいます。
*8 中国では、この蓬莱山というところに仙人が住んでいると考えていました。かぐや姫がほしがったもののひとつに「蓬莱の玉の枝」っていうものがありましたね。


◆場面3・鶴と亀の舞楽◆
ワキ 「いかに奏聞申すべき事の候。毎年乃嘉例の如く。鶴亀を舞はせられ。その後月宮殿にて舞楽を奏せられうずるにて候 大臣 「申し上げます。毎年行っております嘉例でございますから鶴と亀をお舞わせになり、その後月宮殿*1にて舞楽を執り行なわせて下さいますよう。
シテ 「ともかくも計らひ候へ。 皇帝 「よきように取り計らうがよいぞ
「亀ハ萬年の齢を経。鶴も千代をや。重ぬらん 
   <中ノ舞(相舞)>
地謡 「亀は万年もの齢を経ており*2、鶴も千代を重ねている*3ということだ。 
   <鶴と亀の相舞>*4
「千代の例乃數々に。千代の例乃數々に。何を引かまし姫小松の。緑の亀も。舞ひ遊べば。丹頂乃鶴も。一千年の。齢を君に。授け奉り。庭上に参向申しければ。君も御感の餘りにや舞楽を奏して舞ひ給ふ
   <楽>
地謡 「千年の長寿の例としてはいろいろのものがあるが、何を引き合いに出そうか。そうそう、子の日の姫小松*5。松のような緑色をした霊亀が舞い遊ぶ。赤色を頭に頂く丹頂の仙鶴は千年の齢を皇帝にお授けする。庭先に参向するその鶴と亀を見て帝も感銘を受けられたのであろう、自ら舞楽に合わせて舞い始めなさる
   <皇帝の舞>


*1 普通「月宮殿」といえば月世界にあると想像されていた宮殿のことですが、ここではそれを実際にある宮殿名として使っているのですって。
*2 「亀経萬歳又云、萬年謂霊亀」と廣五行記補に載っているところから。昔から亀は長寿だとされていたようです。実際にも、種類によっては100年を超えて生きるものもあるらしいですけど。
*3 「鶴千載、極其游」と淮南子にあります。鶴のほうはがんばっても35年ぐらいの寿命だそうです。けれど、ほかの鳥たちに比べると随分長生きな方なのでしょうか。渡り鳥ですから、また春に帰ってくる、というあたりが「あいつらまだ生きてやがる」と思わせてよかったのかもしれません。
*4 相舞とは二人で一緒に舞うこと。鶴さんと亀さんが一緒に舞うのです。かわいいよ。
*5 拾遺集に「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしに何を引かまし」という壬生忠岑さんの詠んだ歌が載っています。そこから引かれているのですね。子の日、とは年明け最初の子(ねずみ)の日のこと。この日にはみんな野原へ出て小さな松を根っこごと引っこ抜いて家に持って帰ってくる、という遊びがあったそうです。その松が姫小松。姫、とは小さくてかわいらしいことですね。長寿の象徴・松にあやかれるように、との意味を持った行事なのです。みんな新しい服なんか着てキャッキャッキャと遊びに出かけたそうですよ。楽しそうだー。 


◆場面4・皇帝の舞、そして還御◆
「月宮殿の。白衣乃袂。月宮殿乃。白衣の袂乃色々妙なる。花の袖。秋ハ時雨の紅葉乃羽袖。冬ハ冴え行く。雪乃袂を。飜す衣も薄紫の。雲乃上人の舞楽乃聲々に霓裳羽衣の曲をなせば。山河草木國土豊かに千代萬代と。舞ひ給へば。官人駕輿丁御輿を早め。君の齢も長生殿に。君の齢も長生殿に。還御なるこそ。めでたけれ 地謡 「月の都、月宮殿で舞う白衣の天人*1たちの袂。舞の手を尽くして舞い、その花の如き優美な袖が翻される。秋ならば時雨に染め上げられた紅葉の葉のような袖と言おうか。冬ならば冴え返るまでに美しい雪の袖……廻雪の言葉そのままに雪が舞い散るきらめきを見せることだろう。舞の袖はあくまでも薄く軽やかに翻る。薄くたなびく紫雲のように。その雲の上にすむといわれる雲上人、宮中の人々は奏される舞楽にあわせ、霓裳羽衣の曲*2を舞う。皇帝は山河草木、国土よ豊かであれ、千代万代と栄あれ、と舞い納め、官人や輿かきが急がせる輿に乗って長生殿*3へと帰っていった。「君の齢よ長生であれ」との意味の宮へのご帰還は誠にめでたいことである。


*1 月の都の月宮殿には白衣15人、黒衣15人の合わせて30人の天人がいて、そのうち15人が毎日舞っています。そのメンバーは黒15人、黒14+白1、黒13+白2、……というように順に交代していきます。それが月の満ち欠けになっているのです。黒15人は新月、白15人は満月になるのですね。
*2 霓裳とは虹のように美しい衣のこと。この曲、玄宗皇帝が月の都へ遊びに行ったときに天女さんに会って舞を見せてもらって、それを帰ってきてから思い返して作った曲なのだそうですよ。
*3 長生殿は、玄宗さんのおうちとなっている華清宮にあった建物の名前です。玄宗皇帝と楊貴妃の愛を歌った白居易さんの「長恨歌」にも出てきます。というかそれが有名になって玄宗さんのおうち=長生殿となったような気がしますけど。


おわり。