2004年3月13日(土) 浦田定期能 素謡「神歌付竹生島」 能楽「千手」「国栖」ほか |
神歌付竹生島 神歌(かみうた) シテ:翁 ツレ:千歳 能の場合は「翁」といいますが、素謡の場合は「神歌」といいます。 他の謡曲と違ってこれといった筋はありません。能楽が形成される以前の名残を色濃く残した儀式的要素の強い曲です。その神聖さから特別な扱いを受けています。天下泰平・国土安穏の祈りなのです。 * “翁(神歌)付き”とは、翁(神歌)に続けて脇能が演じられる形式のことをいいます。謡曲を曲趣で五つに分けた際の初番目物を“脇能”というのは、本来この翁付きの形式のように「翁の脇に付く能」という意味なのです。 舞台上に演者がそのまま残り、次の曲に入ります。 竹生島(ちくぶしま) シテ:前・漁翁/後・龍神 ツレ:前・蜑女/後・弁才天 ワキ:臣下 ワキツレ:従臣 * 竹生島のお話はこちらを参照してください。 (第三回淡海能冊子原稿の詞章全文と訳があります) * 翁(神歌)付きになると、前シテと前ツレの登場シーンの謡(面白や頃は弥生の 〜憂き業となき心かな )が「白髭」の詞章に変わります。「竹生島」の前シテは漁師のおじいさんでツレは若いお姉さんです。「白髭」の方は、シテは「竹生島」と同じく漁師のおじいさんですが、ツレは若いお兄さんです。でも、どちらも春の琵琶湖で魚を獲っているという点は同じです。 こうして釣をして暮らしを立てるのもいつまでだろう、暇も無く波間で作業に明け暮れているよ。棹をさす手も馴れた海士の小舟。このように小さな舟ではこの浮世は渡りがたい。 参考:「白髭」あらすじ シテ:前・漁翁/後・白髭明神 前ツレ:若い漁夫 後ツレ・天女 後ツレ:龍神 ワキ:勅使 ワキツレ:従臣 のどかな春のある日、天皇の勅使が湖西の白髭明神へ旅立ちました。白髭宮に着くと、湖岸で釣りをしている翁と若者がいました。 翁は勅使に白髭明神の縁起を語りはじめます。 お釈迦さまは都率天におられた頃、仏法流布に相応しい土地を探していて琵琶湖に注目していました。入滅後、ここへきて釣りをしている白い髭の老人に出会い、仏法の地としてここを与えるようにいいましたが、老人は断りました。もう六千年もここで釣りをしているのにここが仏法結界の地となったら釣りをする場所がなくなってしまうからです。お釈迦様はがっかりして帰ろうとしました。するとその時、薬師如来さまが現れました。そして二万年の昔からのここの主である自分は、ここで仏法を開くことは大賛成だし協力する、といいました。そうしてここは仏法の地となったのですが、そのときの釣りをしていた老人が白髭明神としてここに奉られているのだそうです。 話の詳しさに勅使は驚きました。すると翁は自分がその明神だと明かし、もうすぐ天女と龍神がくるころだから待つように、といって社壇の中に消えてしまいました。 夜も更けた頃、社壇の中から白髭明神が現れ、勅使のために舞楽を奏し始めました。そのうち、空からは天女が天燈を、湖水からは龍神が龍燈を捧げて現れ、夜明けとともに帰って行きました。
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国栖(くず) シテ:前・漁翁/後・蔵王権現 ツレ:前・老嫗/後・天女 子方:王 ワキ:侍臣 ワキツレ:輿舁 アイ:追手ノ兵 身分の高そうなお方が輿に乗ってやってきました。天照大神の流れすなわち天皇家の方らしいのですがよんどころない事情で都を追われているようです。逃れてきた先はここ、吉野川の上流です。ひとまずこのあたりで休憩なさるようです。 「おい、婆さんや、あれを見なさい」 釣りをしていたらしい地元の老夫婦が舟に乗って帰ってきました。二人は、家の上空あたりにたなびく紫色の雲を見つけます。ただならぬ気配です。古来より紫雲は天子の御座所に立つといいます。もしかしたらそのような貴人が家に居るのかもしれない、と二人は棹差す手を早め、家へと急ぎます。 「まあ、これはいったい……」 家へ帰ってみると、やはり冠直衣姿の人がおりました。霜露に濡れて萎れたりとはいえ、その身分の高さは疑いようもありません。侍臣は近親者に襲われたためここまで落ち延びてきたこと、匿ってほしいことを話します。 ここ二、三日食事をしていないというその貴人に、翁と嫗は食事をお出しします。ちょうど嫗の摘んだばかりの根芹、翁が釣ったばかりの国栖魚(鮎)がありました。晋の張翰が食べて故郷を思い出したというジュンサイの吸い物・スズキ料理もこれに勝ろうはずもありません。 二人の心づくしのもてなしに感謝した貴人は、料理の残りを翁に賜ります。翁はその国栖魚を裏返してその活きの良さに驚き、吉野川に放してみよう、といいます。焼かれて、しかもその半身を食べられた鮎が蘇るなどということがあるものでしょうか? 訝しがる嫗に翁は神功皇后の先例を説きます。戦況を占い、うまくいくなら魚よかかれと念じて釣り針を投げ入れたところ鮎がかかったことがあったのです。この貴人が再び都へ返れるならばこの鮎も生き返るはず、と翁は鮎を吉野川に放しました。するとどうしたことでしょう、岩場を流れ行く水にのって鮎は生き生きと泳ぎ始めたではありませんか。 さて。落ち着いてもいられません。どうやら追手がこの家へ近づいてきた模様です。それを察した翁と嫗は舟を担いできて伏せて置き、その中へ貴人を隠しました。 追手が来て何やらを捜している、といいます。 「清みばらえ? 身を清めたいのならばこの川下へ行くがよかろう」 「浄見原という人を捜しているのか? そのような名は聞いたことがない。もっとよそを探すがよかろう」 やんごとなきお方は浄見原天皇こと大海人皇子、後の天武天皇だったのです。実の兄である天智天皇の後を継ぐはずでしたが、息子・大友皇子に継がせようとする天智天皇の計略に気づき、この吉野まで逃げてきていたのです。 追手は舟に疑いの目を向けますが、翁はただ舟を干しているのだと言います。しかしなおも食い下がられ舟を改めさせろといわれるに到って翁は怒ります。舟を捜されるとは漁夫にとっては家捜しされるも同然であると。優しく物腰の穏やかな翁のいったいどこにこのような気迫が潜んでいたのでしょうか。翁に気圧され、追手は帰っていきます。 苦境は脱しました。君は臣を育むといいますがこのように臣に反対に助けられる有様の身の上を浄見原天皇は嘆きます。先行きは不透明ですが、命を助けられた浄見原天皇は、老夫婦に感謝して都に還ることあらば必ず恩を返すと約束します。老夫婦はそのもったいないお言葉に感涙にむせびます。 夜も更け、あたりは静まり返ってきました。このような何もないあばら家でどのようにしておもてなしをすればよいかと老夫婦は考えます。ここは月雪の美しい吉野山であるからにはそれに相応しい歌舞や音曲でお慰めしてはどうでしょうか。 峰の松を通り過ぎる風に乗って音楽が聞こえてきました。と思う間に、天女の来臨です。妙なる音楽に合わせて天女が舞い始め、そしていつしか老夫婦の姿は消えていました。 音楽と天女の舞に惹かれて他の神々も来臨してきました。そして、この王を蔵した吉野山に威風辺りを払う蔵王権現も現れました。このようなありがたい神々の来迎は、天皇が代替わりし、これから始まる浄見原天皇の御代の恵みがあらたかであることのなによりの証拠でしょう。
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