<第七回・十月>
「山イリとして霜侵せる紅樹。水エイ廻として露潤す黄菊。」
                                    『枕慈童(まくらじどう)



  秋も次第に深まり、あちらこちらで菊の話題を耳にするようになりました。今回は『枕慈童』をご紹介いたします。実は『枕慈童』のお能を見たことはまだないのですが菊咲き乱れる山を謡った美しい詞章にひかれて選びました。第七回淡海能のメインであります能楽『菊慈童』との連動企画としてお楽しみください。

  連動企画といいますのは他でもありません。『菊慈童』と『枕慈童』とはほぼ同じお話なのです。そして、ややこしいことにお能は流派によって題名が変わるものがあるのですがこの『菊慈童』もその一つです。観世流で『菊慈童』というお話は他の四流派では『枕慈童』とよばれています。そして、観世流の『枕慈童』は、これは観世流にしかありません。私どもでは観世流を教わっておりますのでサイトの表記は全て観世流の行きかたにならっております。(名前が違うものとして有名なものには『安達原』<他流では『黒塚』>、『俊寛』<喜多流では『鬼界島』>があります。漢字表記が違うものは数多くあります。)

  さて、ほぼ『菊慈童』と同じお話なのですからあらすじは淡海能冊子の菊慈童紹介にゆずるといたしまして……お読みいただけましたか? 流罪となって山奥に行かされた慈童が菊と、また妙文のお陰で数百年もの寿命を得ていた、というお話ですね。それではそれをふまえまして、ここでは『菊慈童』と『枕慈童』の違いを見てみることにいたしましょう。


  その1・時代が違うのです
『菊慈童』の勅使は魏の文帝の臣下でしたが『枕慈童』では漢の皇帝の臣下であるといっています。

  その2・「美しい」と言われています
『菊慈童』で発見された時、慈童は「怪しい人間みたいなのがいるぞ」といわれていますが『枕慈童』でははっきりと「いと美しき童子あり」と言ってもらえています。

  その3・隔たった年数が異なります
『菊慈童』では700年、『枕慈童』では800年です。どちらにせよ史実とは年数はまったく違うのですが。

  その4・妙文の文が明らかにされません
慈童が数百年の時を越えて生きつづけている理由である妙文が、『枕慈童』では明らかにされていません。

  その5・舞う動機が違います
『菊慈童』では浮かれて舞う慈童ですが、『枕慈童』では遠来の客人である勅使たちをもてなすために舞うのです。しかも、西王母のお付きの侍女たちが天から現れて楽器を演奏してくれています。

  その6・酔いません 
『菊慈童』でははっきりと「酒」であるといい、飲んだ慈童も舞いながら足元をよろよろさせたりしていますが『枕慈童』では酒とは一言も言われておらず、慈童も酔いどれたりなんかしません。

と、これくらいの相違点はありますが、あとはほぼ同じといえます。

  先行の『菊慈童』にそっくりの『枕慈童』が作られた経緯ははっきりはわからないそうです。詞章などは『菊慈童』のほうが優れているとされています。たしかに『菊慈童』は辛そうな心のうちまで伝わってくる詞章があり、親しみがもてます。上演回数も圧倒的に多いと思われます。それでは、『枕慈童』の存在意義はどこにあるのでしょう。

  今回紹介している文は、勅使たちが山へ分け入ってきたあとに登場するときに慈童が謡います。
  「山イリとして霜侵せる紅樹」「イリ」とは、連なり続くさまを表す言葉だそうです。うねうねと入り組んで続いていった山奥の、早くも霜が降りたために木々の葉が赤く染まっている様です。
 「水エイ廻として露潤す黄菊」「エイ廻」とはうねりうねってぐるぐる巡る様を表しています。水は山より川となって流れてきますね。その山は先ほど申しましたように「イリ」、うねうねと連なっているのですからそこから落ちてくる水も地形に応じてぐるぐると巡るように流れ落ちてきているのです。紅葉に赤く染められた山間を川が巡るように流れ、そのほとりには露に潤う黄色い菊が生い茂っているのです。

  美しい情景ではありますけど、その山の奥深さをあらわす言葉に慈童が過ごしてきた年月の長さまでが感じられ、せつなくなってしまいます。気も遠くなりそうです。
  枕慈童は菊慈童にくらべ、より浮世離れした存在に感じます。枕慈童は菊慈童と違って自分の置かれた境涯を嘆くことはありません。でもそれだけ、心に秘めていたもの、そして長い年月をかけて超越したものが大きいようにも思われます。菊慈童は勅使が来たことで自分が仙化していることに気付きました。それまでの意識は人間であったわけです。ですが枕慈童は自覚は無いにせよ、勅使が来た時にはもうすでに仙人の境地に達していたようです。ひょっとするとそれが百年の差なのかもしれませんね。
 
  「山イリとして霜侵せる紅樹。水エイ廻として露潤す黄菊。」こんな景色の中にたった一人、慈童は八百年もの長きにわたって暮らしてきました。昨日も今日も。そして明日もきっと。けれどもう二度と誰も到達することは出来ないように思えてなりません。

   (イはシンニョウ+「施」のつくり。リはシンニョウ+麗。)
   (エイは「榮」のカンムリ+糸。)

<R.M>

『菊慈童』原稿:第四回淡海能・舞囃子第七回淡海能・能楽第二回淡海能・お能でウフフ第四回淡海能・お能でウフフ
     仕舞等の原稿は演目別一覧からどうぞ。



戻る